八尾市立歴史民俗資料館 河内木綿の部屋
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(3)−1江戸時代の綿作り
(『綿圃要務』より)
<3>綿を摘む、<4>綿を繰る



<3>綿を摘む(わたをつむ)




綿を収穫しているところです。
現在の暦で八月の中ごろから
白い綿ができます。
綿ができることを
「綿がふく」といいます。
また、綿を収穫することを、
「綿を摘(つ)む」、「わたとり」などといいます。
摘み取った綿を家に持ち帰り、
重さを量っているところです。
綿を藁で編んだ袋にいれて、
「さおばかり」と呼ぶ道具で
重さを調べています。
綿を売買するときは、
重さを量って行われます。




<4>綿を繰る(わたをくる)

摘み取った綿には種がはいっています。
種のはいった綿を「実綿(みわた)」といいます。
実綿のまま、商人に売ることもありますが、
家で加工する場合もあります。

実綿の中の種を取り除く作業を
「綿繰り(わたくり)」といいます。
「綿繰り機」という道具を使って、種と綿を分離します。
分離した綿を「繰綿(くりわた)」といいます。

また取り除いた種のうち、良いものは翌年の種蒔き用に保存しておき、
残りは、種屋に売ります。
種は絞ると、油(綿実油)がとれます。









◎綿を出荷する

下の図では、大坂の綿問屋の様子を描いています。
実は、河内で産出された綿のほとんどは、大坂に集められていました。
そして、大坂の商人の手を経て全国に出荷されていました。

このため、江戸時代の後期になると、河内の綿作農家などの中からは、
「大坂の綿商人が、綿を強制的に安く買いたたき、困っている」という声が高まりました。
そして多くの農民が結集して、「国訴(こくそ)」と呼ばれる訴訟(裁判)を起こしました。
その結果、大坂の綿商人による強制的な綿の買占めは禁止となり、
河内など生産地の綿作農家や綿商人が自由に売買できるようになりました。



なお、河内木綿の原料となる綿は、
大坂など各地へ出荷されなかった残りの綿を使っていました。



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