第10章 自律する生態系 (持続可能な循環型モデル)



第3節 自律する生態系をモデルにした伝統的な循環システム"ドビ流し"

 溜池の生態系は小さな宇宙です。太陽のエネルギーを利用して、植物プランクトンは、取り込んだ二酸化炭素と水から光合成によって有機物を生産し、酸素を放出します。同時に窒素同化によって無機窒素化合物から生命にとって最も重要な核酸・タンパク質などの有機窒素化合物を合成します。そして、消費者である動物プランクトンは植物プランクトンを摂餌して、酸素を使った呼吸で生活エネルギーを調達します。さらに、高次の消費者である魚・貝類は小さな動植物プランクトンを捕食して、生活エネルギーを調達します。これらの生産者や消費者が排出した老廃物や遺骸は、分解者のカビや細菌によって無機物の窒素化合物にまで分解され、二酸化炭素が放出されます。そして、再び生産者の光合成によって有機物が合成されます。
 このような過程で溜池の生態系は物質を循環させます。しかし、溜池の生態系が維持されるのは、完全に閉じた系として維持されているのではないのです。当たり前のことですが、太陽の光、雨水、外部から加わる落ち葉などの有機物、さらに外から訪問する鳥などの捕食者など、常に1つの系はその外部の系と関係をもちながら維持されているのです。
 太陽エネルギーを利用した溜池の生態系は、多様な生物種の増減を繰り返すうちに、必ず有機体である動植物の個体群は成長し、生物多様性を維持しながら遷移していき終局状態(自然生態系では極相といいます)に達します。つまり、初期の生態系と中期・後期の生態系を比較すると、初期には生物の多様性は増加していき、終局に近づくと減少し始めます。すなわち、遷移する過程でそれぞれの主役を演じる優占種が変化するのです。
 例えば、同じ植物プランクトンでも珪藻から緑藻、そして緑藻から藍藻と水質の富栄養化が進むにつれ、生産者の優占種が遷移するのです。また消費者の生物種も変遷し、分解者の優占する働きも変化するのです。したがって、溜池の生態系は循環すると言っても、常に系としては遷移していき、外部から付加される落葉や成長した動植物の遺骸による有機物が蓄積され富栄養化が進行していきます。
 そこで、溜池の健全な生態系を維持するためにどの地域でも、"ドビ流し"や"池干し"が行われていたのです。"ドビ流し"とは、高安地域の呼び名で、溜池の底樋を抜き有機物を含む泥水を流し、田畑にその泥水を取り込む作業のことを言います。同時に、溜池で繁殖した、フナやコイ・雑魚・エビやドブガイなどを採集し、秋の食材として利用していたのです。その後"池干し"を行うこともありますが、完全に干しきってしまうことはないので、動植物が死に絶えることはなく、給水後、再び二次的な生態系の遷移がスタートするのです。このような"ドビ流し"を年に1度行うことによって、何百年ものあいだ溜池の生態系が維持されてきたのです。
 溜池という小さな生態系は、その外部の田畑や河川を含む大きな循環型の生態系に組み込まれることによって維持されてきたのです。さらには高安山の森林の保水力や山麓扇状地の土壌による地下水のろ過など、水循環が成立してこそ、溜池の生態系が維持されていることが最近調査でやっと実感するようになってきたのです。あくまでも溜池は開放系の小宇宙として維持されてきたのです。かつては溜池といえども用水路の動脈によって隣接する溜池や河川とつながり、ハゼの仲間やドジョウやウナギまでもが遡上していたのです。そして、その放浪者に付着して多様な生物が移動していき維持されていたことを、今では忘れ去られているようです。いや、忘れ去られているというよりも、理解する必要性がなくなってきたのでしょう。
 伝統的な先人の知恵と思われる人為的な"ドビ流し"は、自然現象をよく観察すると、河川の蛇行によって生じる河跡湖や淀川などで見られる"わんど"などと同様に、洪水によって底に溜まった有機物や汚泥が洗い流され、二次的な遷移が促進される現象と酷似しているのです。やはり、自然現象をモデルにした先人の知恵だったのでしょう。我々は、このような伝統的な農業技術をもっと科学的に分析して、本質的な意義を読み取りたいものです。


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