プロフィールにもあるがコンビニを始める前は証券会社に務めるサラリーマンだった。
辞めるにはそれなりの理由があるわけだが、そのひとつが転勤による引越しがある。
どこかで落ち着かねば、一生根無し草で終わってしまう!
一箇所にとどまり、生活基盤を作らなければいけない!そう思った。
勤めている間に次から次に転勤した、勤務している支店も移ったが、同じ支店勤務でも事情で引っ越した。
全部で9回、2年すこしで次ぎに移動である。
会社の規定で子供が中学校までの間は単身赴任が認められていなかった。もし、家族を置いて単身赴任するのであれば自己負担であった
経済的にはあまりにきつい。
仕方なく子供とともに引っ越すことにしていた。
まさか、こんなに転勤するとは思ってもいないんだもん…。(グスン)
子供が小学校に入ってからだけでも、京都、高知、宮崎、仙台、大阪となった
上の娘は小学校3校、中学校3校、下の娘は小学校5校ということになった。
全部言葉すら違う外国同然の土地へ(京都弁、高知弁、宮崎はほとんど鹿児島弁、東北弁。関西弁)
しかも家の中ではおやじが関西弁、奥さんが関東、茨城弁、さあ娘たちは何弁でしゃべっているでしょう?
今では、すっかり関西弁になっています。ただ、時々訳のわからない方言が飛び出したりイントネーションがずれたりしてますが…。
「今でも5分もあれば、現地の友達とはそれぞれの方言で話ができる。」と娘は自慢する。国内限定バイリンガルだぞ〜!って…
さて、転勤辞令ですが、毎回いきなりの転勤辞令!
事前予告はまったくなし。
発令から本人は一週間以内に新任地へ赴任!
例えば、火曜日の夕方辞令が出ると、その日のうちに次の支店との連絡、引継ぎの日程の打ち合わせ
水曜日には午前中にすでにアポを取っているお客の代理を周りのセールスに頼んで、午後には転勤先へ向かい、夜ホテル入り。
木曜、金曜、転勤先で引き継ぎ、金曜には「歓送迎会」
土曜日、日曜日に住宅探し、その後自宅
月曜日、火曜日引継ぎ、歓送迎会、水曜日には転勤先に赴任。
こんなスケジュールになる。
子供たちに転勤を伝えるのは転勤先から戻った日曜日のみということになる。
子供たちにとっては、いつも晴天の霹靂。
とりあえず、オレだけが転勤してホテル暮らし。
学校の区切りのいいところで家族のお引越しとなる。
しかし、区切りが良すぎると、夏休みや、春休みの間に友達にお別れもいえないままに行ってしまうことになる。
しかも、これだけ移動先が遠いと学校の授業内容もかなり違う。
小学校の社会なんて、地元の自然や、地理の学習なんてのをやっている。
昨日まで高知の「仁淀川は…」なんてやっていたのに、今日は「宮崎の大淀川は…」なんてことになる。
大人でもわからん!
算数だって教え方が違えば…
落ちこぼれ必死! いかん!
結果、娘二人は目指せ体育系! 体操をさせた、しかも本格的に。
勉強が出来なくても、運動が出来れば、学校で目立てる!
そうすれば、いじめられたりしない!
親の安易な発想であった。
決してそんなことはない。子供たちは言わないがかなり苦労していたみたいである。
お姉ちゃんが、妹に転校した後の友達作りの指南をしていたりした。
「回りに嫌われないよう自分から話しかけないといけないよ。」とか
「クラスの係りはちゃんとやらないといけない。」とか、事細かに教えていた。
お姉ちゃんにしても苦労して会得した技なんだろう。
スマン、苦労をかけたなぁ。
そして、親の安易な発想の期待に娘たちは見事にこたえ、ムキムキの肉体を手に入れた!
体操競技を続けた。
以外に狭い世界である。
各地の競技クラブが繋がっていた。いや教えている人たちが繋がっていると言ったほうがいいのだろう。
転勤先でも続けられた、半分、強制的に続けさせたといってもいい。
子供たちは、何度も辞めたいと泣いた。
しかし今では、親のほうが競技生活から離れてほしいと願っている。
だって、遠征費用だとかお金は掛かるし、練習のおかげで店なんて全然手伝えないし…。
それに、成績だってたいした事ないんだもん。
(こんな事書いたらぶっ飛ばされそうだな)
一応、上の娘が大学で全日本インカレ20位台、下の娘は大阪府のインターハイ予選はずっこけの10位台(本当に床の演技でこけた)
後で、府立高校大会は個人総合優勝したようだけど、どの程度かはよく判らん。
今では、落ち着いて話せるが、転勤続きの生活から脱サラしてコンビニ開業!
さあ、これで一箇所に腰を落ち着けて新たな生活をはじめられると思った。
しかし、もっと、酷いドタバタになった。
現実は、本当に甘くない!
コンビニ開業という事になったわけであるが、第一歩を踏み出す前にも一騒動がある。
前年の末ごろには会社の中で、「希望退職を募るらしい?」と噂が流れてきた。
すでにその頃には、頭の中では退職することを考えていた。実際にはもっと前からである
満20年とにかく勤めようと思っていた。そうすれば、厚生年金の基礎年金の資格が取れる。
ひとつの区切りにしようと思ったわけだ。
それが、開業の年だった。
次の年の2月には、コンビニのオーナー募集説明会に出席していた。
女房は退職することにはまったく異論は唱えなかった。不思議なぐらいである。
もっとも、女房も社内結婚だったので、ある程度事情には通じていたし、
よく家に若い後輩社員がやって来ては愚痴をこぼしているのを聞いていたからだろう。
3月に入ると本当に希望退職者の募集が始まった。
しっかり手を上げました。
授業参観日に母親の目の前で問題がわかって嬉しくて仕方ない子供のように!
それは今でも後悔していません。 それほど前の会社での生活は酷かった。
(今でも頑張っている元同僚には悪いと思うけれど…)
退職の条件で、いったん退職後、6ヶ月間委託契約にて給与を支給するというものがあった。
その、6ヶ月間で次の職を探せ! しかも、外資系就職斡旋会社がバックアップするというものであった。
そこに落とし穴があった!
余裕をかまして、6ヶ月の猶予があるわい!なんて考えてしまった。
5月にはすでにコンビニの委託契約の一歩手前まで話は進んでいたのでなおさらである。
しかし、一旦、退職して、委託契約である。
しまった! 今住んでいるのは会社で契約している家だ。
会社は、あっさり大家に退職のため契約解除すると、すでに申し出ていた。
オレには何の連絡もない! 人の都合も聞けよ!
文句を言ったら、「いいですよ、委託期間なら延長しますよ。」だって!
しかしときすでに遅し、大家はへそを曲げてしまった。
仲介の不動産屋でさえ、あきれるぐらい理不尽な要求をしてきた。
コンビニ開業前に一家そろって住所不定の浮浪者になる。
5月末までに、退去しなくてはいけない。
ほぼ、開業は決まっていて、後は契約するだけになっていたが
仕方ないので、またまた、お引越し…
学校の関係もあるので、それこそ目と鼻の先にお引越し、
不動産屋には、「そんな短い期間だったらメチャクチャ損ですよ!」といわれても浮浪者になるわけには行かない!
さらに、僅か、2ヶ月でコンビニ開業のため店舗の近くに、またまたお引越し…
これで、会社に入って以来10回目のお引越し…
もうこれで、落ち着いてやれるぞ!
しかしテレビドラマでも不幸は立て続けに来るじゃないですか。
やっとヒロインがめでたく…、というと、どんでん返しみたいに不幸が訪れてっていうやつ。
決して不幸な出来事とは思っていませんが、厄介なことは次から次に出るもので…
さて、とうとう脱サラを果たし、コンビニ開業となったわけであるが…
「脱サラ物語」としてはここで終わりなのであるが、しかしここからが本当にドタバタ劇である。
もし、どこかに、脱サラを考えて、「コンビニでも」しようかな。 なんて考えている人がいたら参考にしてもらおうと思って、敢えて、恥さらしのことも書いています。
契約する直前は、はっきり言って隠居状況であった。
奥さんは依然として銀行にパートに出ているし、子供たちが学校に行ってしまうと家には一人っきり。
会社には出なくても給料は少ないとはいえ、とりあえず入る。 まるで年金生活者みたい!
でも、何もやる事がない!!
家でTVゲームをやってみても面白いはずもない。 不安感が先にたつ。
町に出ても、人は皆忙しそうにしているのに自分は…。
自分の家が自由な刑務所のような気がする。
それだけ会社人間だったんだなー。
社会から隔絶された生活、自分の勝手な思い込みでしょうが、そう思ってしまいました。
サラリーマンの方が定年退職の後感じる事を一足先に感じてしまいました。
気が付くと、転勤ばかりしていたので、近しい友人がほとんどいない。
仕事を通じた知人はいても仕事をやめたら会いにいけないですよ〜。
もっとも、友人がいても、会社を辞めて暇だからと言って、忙しくしているヤツのところに行きたくもない!
間違いなく、失業者だもん。肩身が狭い。
しかし、一ヶ月後には契約、
とたんにスケジュールがびっしり埋まってしまった。
「えっ」て言いたくなるほど急な展開で一気に開店である。
一瞬、これは契約者に契約した後、後悔したり考え直す暇を与えないための手段かと疑うほどせっつかれた。
二週間の研修中に従業員の募集面接、終われば、店舗でのトレーニング、クローバー(チラシ配り)等々。
そして7月29日(金)ついに開業!!(^^)v
契約前には事前に自分の足で回りを確認しましたよ。
朝、昼、晩、時間を変えて店の予定地の前に立って人の流れを見たり
周りの住宅地をめぐってみたり、市役所に行って、駅の乗降客数を調べたり
納得できるように調べた上で、「ここでいい!」と契約したのです。
店はJRの駅から150m、一級国道にも面している。
こいつはいいかも!!
期待に胸が高まる!!
本部も期待したのか、通常5000枚から一万枚の無料引き換え券のついたチラシをリクルート担当者の稟議で2万5000枚も配った。
結果 初日の売り上げ
62万円??????
何?、何? 多いの?少ないの?
そんな事も良く判らない状態でスタートです。
もちろん、チェーンの平均日販ぐらい知ってましたが、初日の売り上げをどのように評価していいか判りませんでした。
二日目45万円
三日目37万円
そのたびにアシスタントに来ていた本部の人の顔が暗くなっていきます。
案の定、8月の半ばには20万円台の売り上げの日がチラホラ出るようになって…
そうです、世の中甘くない!
いまだに、うちの店より低い初日の売り上げを聞いたことがない!
(あっても、きっと言わないだろうな)
うちの店の後で出来て、すでに閉店してしまった店ですら。初日75万円!
ここから悪戦苦闘の日々の始まりです。
つまり、どこのコンビでも同じ苦労の始まりです。
ただ、だまされたとも思っていませんし、今だにたいした売り上げがあるわけではないですが、それなりに楽しんで仕事しているつもりです。
まだまだ、途中ですよ!5年や6年やって商売がうまくいっているだの、行ってないだのいえないと思っています。
チェーンのオーナーの中で商売は 「商い」=「飽きない」だと言っている方がいましたが、そのとおりだと思います。
続きはタイトルを変えて書き続けます。 宜しく!