| 1998年・第16回フランス大会総括 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1998年、20世紀最後のワールドカップは、生みの親ジュールリメの母国に戻ってきた。出場枠が24から32へと拡大され、日本もワールドカップ初出場を遂げている。大会組織委員長に就任したのは、かつて自身もワールドカップを沸かせたあのミッシェル・プラティニ。フランスサッカー協会の重鎮として頭角を成し、歯に衣着せぬ発言でマスコミの受けも良い。プラティニ委員長は出場32カ国中、ジャマイカと日本、それにアメリカを加えた3カ国を最もレベルの低いチームと評価した。防戦に終始する3カ国は、ワールドカップのレベルを下げていたと、大会終了後も批判の的になる。しかし、世界各国には、若くして完成度の高い選手が現われ、新しい黄金時代の幕開けを予感させた。イングランドのベッカムやスペインのラウール、オランダのクライファートは、20代前半という若さでありながらも、チームの中核に君臨。噂に違わぬレベルの高さで、ワールドカップに印象付けるシーンを刻み付けた。1995年に下されたボスマン判決以降、ヨーロッパ各国のリーグ間で選手の移籍が自由となり、資金の豊富なビッグクラブに選手を売却するため、中堅クラブは育成システムの充実に乗り出す。それが、世界各国の選手を発掘する原動力となり、それまでサッカーが認知されていなかった国からも、次々とスター選手が生まれる環境が整った。ヨーロッパに集結して、ハイレベルな競争過程で完成度が磨かれるため、若い選手の可能性が各段に広まる。アジアでは日本や韓国ばかりでなく、タイやシンガポールの選手も、遠く離れたヨーロッパのクラブと契約を結んでいる。サッカーのグローバル化に拍車が掛かり、さらにレベルの高い選手が輩出されることで、ワールドカップもよりハイレベルなステージへと進化した。 6月10日の開幕戦は、ディフェンディング・チャンピオンのブラジルに注目が集まった。ペレにして20世紀最後の怪物と言わしめたエースのロナウドが、颯爽とフィールドを駆け抜ける。対するスコットランドのDFは、徹底マークでロナウドに自由を与えず、王者ブラジルのペースをかき乱した。しかし、前半開始早々に、ドゥンガのミドルシュートからコーナーキックを奪われ、それをサンパイオがヘッドで合わせてブラジルが先制する。これで、一気にスコットランドの守備が崩れてしまうかと思われたが、反対にブラジルが個人技頼みに片寄ってしまい、スコットランドの守備網に捕まってしまう。ジオバンニ、リバウド、ロナウド、ベベットの攻撃陣は噛み合わず、ちぐはぐな時間帯が続いた。そうした中、サンパイオのファウルでPKを取られると、コリンズがこれを決めて同点に追い付く。立て直しを図るザガロ監督は、ジオバンニに変えてレオナルドを送り込み、チームプレーに徹するよう指示を飛ばした。中盤のレオナルドとドゥンガが賢明に修正を試みたが、1度狂った歯車は元に戻らず、あわやという場面が連続する。終盤にパワープレーに打って出たことで、スコットランドのオウンゴールを呼び込んだが、不甲斐ないブラジルの狼狽振りには落胆の声が後を絶たなかった。当時最高金額24億円の移籍金でスペインに渡ったデニウソンも、ボールの持ち過ぎが目立ち、スター候補から姿を消している。この試合を見て、ブラジルが決勝戦に辿りつく姿を想像できた者は少なかっただろう。 順調にスタートが切れなかったのは、グループBのイタリアも同じだった。イタリアは、ユベントスで活躍するデルピエロをエース候補として起用してきたが、ヨーロッパ予選の終盤からデルピエロの調子が上がらず、大会直前にはロベルト・バッジォの待望論が浮上した。97年からボローニャでプレーしていたバッジォは、得点王争いを演じるほど好調をキープ。満を持して、ア・ズーリに復帰を果たし、チリとの試合でもチームを救う重役を担った。過去のワールドカップでは、7得点中4得点が後半80分以降のゴールで、試合終了間際にゴールを奪う姿こそ、救世主バッジォの真骨頂だった。98フランス・ワールドカップでも、チリとの試合は後半88分にPKを沈め、オーストリアとの試合は後半89分に追加点を挙げている。相変わらずのバッジォの姿に、マルディーニ監督は苦悩の選択を迫られることに。デルピエロを使うのか、それともバッジォを使うのか。若きデルピエロにチャンスを与えたいところだが、各国のマークは非常に厳しく、その上、ゴールを重ねるヴィエリやバッジォとの比較で報道されるため、スランプの悪循環から抜け出せずにいた。決勝トーナメントからはデルピエロをスタメンで起用し続けたが、期待する以上のプレーをデルピエロが見せることは無かった。グループリーグでブラジルを破り、2大会連続の対戦となるノルウェーは、4年前の借りを返そうとパワーと高さでイタリアに挑む。巨漢FWヴィエリのゴールで先制したイタリアだったが、その後はノルウェーの攻撃に押され気味。ゴール左隅下に放たれたT・A・フローのヘディングシュートは、紙一重の所でパリュウカがスーパーセーブ。カテナチオの粘りは生きていた。 グループリーグで最も関心を集めたのは、スペイン、ナイジェリア、パラグアイ、ブルガリアの集うグループD。優勝争いにも影響を与えるスペインとナイジェリアが、いきなり初戦から激突することもあり、大会序盤の目玉として話題を集めていた。両国の対戦は、それまでのサッカーがスローモーションに見えるほどスピーディーで、高度なプレッシングサッカーの応戦となった。キックオフと同時に、ラウールとイエロのコンビでいきなりボレーシュート。ゴールキーパー・ルファイに弾かれたが、戦線布告の号砲を派手に打ち鳴らした。ナイジェリアはフラット3を制御して、中央に人数を集めてプレッシング・ディフェンスを仕掛ける。一方のスペインは、素早いパスチェンジから裏を取る速攻で勝負。瞬時にして攻守が入れ替わり、場面展開の早い、慌しい時間帯が続く。先制ゴールを奪ったのはスペイン。イエロのフリーキックが、壁の横に立っていたアルフォンソの腕に当り、ルファイの判断したコースと逆に飛び込む。ここから、ナイジェリアの選手が怒りの反撃を開始して、アデポジュの同点ゴールが決まるまでに、両国は消耗し切ってしまった。そのまま1−1で後半に折り返すと、再びラウールとイエロのコンビが一撃必殺を浴びせる。中央からロングボールを放り込み、走り込んだラウールがボレーシュート。スペインが再びリードを奪った。前半20分間のハイレベルな内容からすると、後半立ち上がりは物足りない時間帯が続いたが、終盤にとんでもないドラマが待っていた。後半73分、ゴールラインぎりぎりのところから放ったラワルのシュートが、虚を突かれたスビサレータの腕に当り、スペインゴールへ。そして、その5分後、スローインをクリアーしたところに、走り込んだオリセーが豪快にミドルシュート。スペインのゴールを突き抜けるようなシュートがフィナーレを飾った。無敵艦隊スペインは、残る2戦に望みを託していたが、パラグアイとの試合に引き分けてしまい、最終戦の星勘定に止めを刺されてしまった。スペインにワールドカップをもたらす逸材と騒がれたラウールの最初の戦いは、不運と波乱に満ちてその幕を閉じる。勝ったナイジェリアも、その後の試合では集中力が切れてしまい、デンマークとの1回戦を1−4の大敗に終わっている。しかし、ナイジェリアの監督を務めたミルティノビッチは、4大会連続の決勝トーナメント進出という偉業を達成した。監督個人の成績が、これほど注目を集めるのも非常に珍しい。 その一方で、華々しいデビューを飾った若者もいる。2ヶ月前にイングランド代表入りを果たしたばかりの18歳、マイケル・オーウェンだ。周囲の喧騒を危惧したホドル監督は、ワールドカップの空気に慣れさせるため、チュニジア戦の終了間際にオーウェンを出場させている。わずか4、5分の出場とあって、オーウェンに目覚しい活躍は見られなかったが、続くルーマニア戦にも登場すると、その才能を存分に楽しませてくれた。状況判断に優れており、プレーの切り替えの素早さでは、マラドーナさえ凌駕するレベルにある。巧みにディフェンスの裏を取り、ルーマニアのゾーンシステムをパニックに落とし入れた。後半40分には同点ゴールを叩き込み、ロスタイムでリードを奪われた直後にも、強烈なミドルシュートでルーマニアを慌てさせた。戦況に合わせてプレーの優先順位を変えるため、ルーマニア戦でのオーウェンには無駄が見られ無かった。その後、シェリンガムからレギュラーポジションを奪い取ると、オーウェンは不動のエースとして覚醒する。圧巻だったのは、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦。高速ドリブルでPKをもぎ取り、さらに40mを独走して追加点。18歳の離れ業に、世界中から驚嘆と賛辞の声が送られた。86メキシコ・ワールドカップでは、マラドーナがボールを持つと何かが起こると言われていたが、98フランス・ワールドカップではオーウェンがボールを持つと何かが起こっていた。アルゼンチンとの試合はPK戦での決着となったが、ここでもオーウェンは大胆不敵にPKを沈めている。強靭な精神力を秘めており、今後のワールドカップでも主役に名乗りを挙げるだろう。イングランドもヨーロッパの潮流に合わせて、95年から海外の選手を積極的に招いている。次第にそのスタイルに変革の兆しが現われ、ベッカム、スコールズ、マクマナマンなどの多彩なプレースタイルの選手が増えている。それらの選手が、スピードとパワーに優れた選手と調和することで、攻撃サッカーの魅力がより引き出されるようになってきた。 チームとしての完成度を誇ったのはオランダとフランス。オランダは、初戦でベルギーと引き分けたが、韓国との試合は圧倒的なパフォーマンスで、付け入る隙さえ与えなかった。スピードとパスワークで韓国の選手を翻弄し、大量5得点で韓国を粉砕。あまりの出来事に、韓国はチャ・ブンクン監督の更迭に踏み切った。しかし、この試合は相手が強過ぎるだけであって、チャ・ブンクン監督の采配どうこうで戦局が変わる場面はほとんど見られない。その後、メキシコ戦に引き分けて、決勝トーナメントに勝ち進んだオランダは、いずれの試合でも脅威的なパフォーマンスを見せている。素早いプレスとカウンターで主導権を奪い取り、対戦国の選手に精神的プレッシャーを仕掛ける。ボランチのダービッツがエースキラーと化して、ストイコビッチやオルテガを執拗なラフプレーで潰していた。それでも、ストイコビッチのパスから決定機を作ったユーゴスラビアは、同点ゴールを奪い、さらにPKで逆転のチャンスを掴んでいた。しかし、不調のミヤトビッチにゴールを挙げさせようという配慮が裏目となり、これを不意にしてしまう。ストイコビッチがフィールドを去ると、自由になったダービッツがロスタイムにシュートを決めて、粘るユーゴスラビアに引導を渡した。86メキシコ・ワールドカップのフランスとブラジルの試合でもそうだったが、不調の選手にチャンスを与えると、ことごとく不幸な結果を招いている。ワールドカップ本大会ともなれば、不調の選手を使わないのが鉄則だ。アルゼンチンとの試合でも、ダービッツがマークしていたオルテガが去ると、試合の流れが一気に動き出す。中央からの攻撃に警戒を示したアルゼンチンがラインを上げたところで、ベルカンプが裏を取って冷静にシュート。オランダの試合は、そのほとんどが一進一退の攻防戦を繰り広げており、手に汗握る緊張感に満ちていた。 開催国として、万全の準備を行ってきたエメ・ジャケ監督だったが、国民の反応は今ひとつ冷たかった。権威あるレキップ誌も反旗を翻し、強化方針に疑問の声を投げ続ける。攻撃のタレントであるカントナやパパン、ジノラを外したことで、プライド高きフランス人の気質を逆撫でしてしまったようだ。しかし、守備固めから攻撃に転換するチーム作りは、フットボールの最端距離とも言えるプロセスを通過する。デシャン、デサイー、ブラン、リザラズ、カランブー、ルブフ、テュラム、守備の選手が意思統一を完璧にすることで、役割を分担しながら攻撃のバックアップがスムーズになる。現在のサッカーでは、高度な守備戦術が確立されており、攻撃陣の力だけではゴールを奪うことが難しくなっている。そのため、2列目以降の攻撃参加が必要であり、それを機能させるためにも守備陣の意思疎通が重要なポイントになっている。南アフリカやサウジアラビアとの試合では、アンリやトレゼゲ、デュガリーのゴールで大勝を治めたが、実力が伯仲する決勝トーナメントでは、ブラン、テュラム、プティ、ジダンら、MFとDFのゴールで勝利を治めた。FWの得点は1点も無く、確固たるエースが存在していないように報道されたが、勝利を追及するために組織で戦ったことを物語っている。フランスと最も対照的だったのは、ロナウドやデニウソンが暴走したブラジルで、その完成度は一時代前のものと言わざるを得なかった。才能のある選手をただ並べるだけでは、もはや勝てない時代になりつつある。94アメリカ・ワールドカップに優勝したことで、売り手市場となったブラジルの選手は、次々と代表チームに招かれてブラジル代表のタグが縫い付けられていた。そんなビジネスに走ったことも、ブラジルの失墜を加速させることになった。1994年から1998年に至るまで、ブラジル代表に名を連ねた選手は150人近くも存在している。その一部が日本にも輸出されてきたが、レベルの低さに唖然とした。この98ブラジルに比べると、ペレの居た時代のブラジルの方が数段高いレベルにあるだろう。3−0という決勝戦のスコアは、決してフロックではなく、そのまま実力を反映してたものである。 |
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