| 1990年・第14回イタリア大会総括 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
1934年の第2回大会開催から56年の歳月を経て、ワールドカップは再びカルチョの国へと戻ってきた。大会の形式と規模は拡大され、サッカーのルールも改良に改良を重ね、よりスマートなスポーツへと進化している。しかし、高度な組織戦術が編み出されると、次第に守りに重点を置くチームが増え、得点を奪い合うスリリングな試合は激減してしまった。また、年々過密するスケジュールによって、選手の消耗が激しくなり、ベストの状態で出場できないチームも珍しくなくなっていた。そのため、1試合平均得点は2.21と史上最低をマークし、面白みに欠ける大会と称された。この頃、世界トップレベルの選手が集結していたイタリアのプロリーグ・セリエAは、世界最高峰のリーグとして栄華を誇っている。マラドーナ、マテウス、フリット、ジャンニーニ、ドゥンガ、セリエAで優勝争いを繰り広げる選手達が、イタリア・ワールドカップの主役として、世界中の注目を集めることになったのは言うまでも無い。 6月8日の開幕戦は、いきなりセンセーショナルなドラマが待ち受けていた。マラドーナを要する前回優勝アルゼンチンが、アフリカ代表のカメルーンを相手にまさかの完封負け。世界中のマスコミは驚きと興奮を持って、史上最大の番狂わせとして配信する。イタリアのクラブであるナポリに所属していたマラドーナだが、ワールドカップではア・ズーリの最大の障害になると言われ、何かと目の仇にされていた。そのマラドーナがダークホースのカメルーンに苦戦したことで、スタンドはやんやの喝采でカメルーン代表を盛り立てる。身体能力に優れるカメルーンは、体当たりのサッカーでマラドーナとアルゼンチンを追い込み、2人が退場させられながらも、オマン・ビイクの挙げた1点を守り切った。セリエAのシーズン中に足首を痛めていたマラドーナは精彩を欠き、期待された新戦力のカニージャも、スピード勝負ではカメルーンの怪物たちには歯が立たない。圧倒的な攻撃力を誇っていたアルゼンチンは、もはや4年前の実力を失っていたかに見えた。続いて、ヨーロッパの強豪ソビエト連邦と対戦したが、ここでも思いも寄らないアクシデントがアルゼンチンを襲う。ゴール前で見方DFと交錯した守護神プンピードが、左肩を蹴られて鎖骨を骨折。そのまま戦線離脱を余儀なくされると、アルゼンチンはセカンドゴールキーパのイスラスも不調であったため、“第3の男”と言われたゴイコチェアを起用する。しかし、素人目にも拙いゴイコチェアのセービングは、会場中の失笑を買うことになった。 守備に安定を失ったアルゼンチンは、マラドーナが下がり目にポジションを取って、バランスの修正を試みる。攻撃的で華麗なサッカーを求められていたディフェンディング・チャンピオンの、あまりにも不甲斐ない試合運びには、世界中のマスコミが失望と怒りの矛先を仕向けた。四面楚歌と化したスタジアムでは、マラドーナやアルゼンチンの選手を野次る声が飛び交い、いつしかマラドーナは悪役のレッテルを貼られてしまう。ソビエト連邦を破り、ルーマニアとは引き分けて、グループを3位で通過したものの、決勝トーナメント1回戦の対戦相手は同じ南米の雄ブラジル。さすがに、マラドーナの命運も尽きたかに思われた。メンバーを大幅に入れ替えていたブラジルは、それまでの攻撃的なスタイルから逸脱を図り、組織守備に重点を置いた近代サッカーを模索していた。チームの中核を担うのは、中盤後方で攻守の切り替えを判断するドゥンガ。セリエAで、逸早くゾーンサッカーを体験していたドゥンガだったが、個性を見せたがる周囲との同調に苦心する。チームは今ひとつ噛み合わないまま、グループリーグの3試合をすべて1点差の僅差で勝利。持ち味の華麗さが失われたことで、“コラソン(魂)を失ったセレソン”と酷評を受けてしまう。周囲の論争に悩まされたブラジルは、マラドーナのアルゼンチンを破ることで、その酷評を振り払いたかった。しかし、20本ものシュートを放ちながらも、人の壁とゴールポストに弾かれ、なかなかゴールが奪えない。反対に、終盤にマラドーナとカニージャのコンビプレーでゴールを奪われ、0−1の完封負けに終わる。国内ではドゥンガに対する批難の声が後を絶たず、チーム改革は暗礁に乗り上げた。 不調に苦しんだのは、なにも南米のチームばかりではない。88ヨーロッパ選手権で優勝を飾り、大会の優勝候補にも名を連ねたオランダも、ツートップのフリットとファン・バステンが共に故障。魅惑のオランダトリオは、ライカールトを残すのみとなっていた。グループリーグでは得点力不足に悩み、3試合で奪ったゴールは僅か2得点。イングランド、アイルランド、エジプトとの3戦を引き分け、クジ引き抽選で西ドイツとの対戦を引き当ててしまう。88ヨーロッパ選手権、74ワールドカップで激戦を繰り広げた両国にとって、これが事実上の最終ラウンドとなる。オランダのフリット、ファン・バステン、ライカールトの3選手はACミランに所属。西ドイツのマテウス、ブレーメ、クリンスマンの3選手はインターミラノに所属。互いに、チームの主力としてスクデット獲得に貢献しており、その両国がサンシーロスタジアムで対戦することになったのは、サッカー史上に例を見ない舞台設定である。因縁が2重にも3重にも絡みあい、ハイレベルな内容が期待された。試合開始から、オランダが素晴らしい連携で西ドイツゴールを襲ったが、フィニッシュに入ったビンターがゴールに嫌われてしまい、決定機を活かす事が出来ない。西ドイツは、両サイドを使った攻撃で反撃を試みるが、ライカールトが巧みにFWへのパスをカット。フィールドを縦横無尽に動き回るライカールトの守備は完璧で、西ドイツに付け入るスキを与えなかった。しかし、ファウルプレーに苛立ったフェラーが、ライカールトを挑発すると、ライカールトもこれに応戦。互いに罵り合い、人種差別発言に侮辱を感じたライカールトは、フェラーの後頭部にツバを吐き掛ける。2度目の接触で再び舌戦を繰り広げると、両者は揃ってフィールドを後にした。その後、マークが手薄となったクリンスマンは、上手くライン裏へと走り込み、ブレーメのクロスをダイレクトで合わせて、西ドイツに先制ゴールを呼び込んだ。リードを奪われたオランダは、スピードのあるキーフトを投入して反撃を試みる。フリット、ボウタースが決定的な場面でシュートを放ったが、惜しくも枠の中には飛ばなかった。試合終了間際に、ブレーメが芸術的なバナナシュートで追加点を奪うと、サンシーロの死闘に決着が付いた。またしてもオランダは、西ドイツの壁を超えることができなかった。この試合は、イタリア・ワールドカップの事実上の決勝戦と言われている。 アルゼンチンvsブラジル、西ドイツvsオランダの潰し合いを横目に、危なげなく決勝トーナメントを勝ち進んだのは地元イタリアだった。グループリーグの組み合わせにも恵まれ、通算5試合連続の無失点記録を樹立する。エースとして期待されたヴィアリは得点を奪えなかったが、大会直前に彗星のごとく現われたスキラッチがブレイク。若きロベルト・バッジォとのコンビは抜群で、スキラッチは“ロッシの再来”としてゴールを量産することになった。ローマの王子ジャンニーニや、ユベントスのプレーメーカーであるセレナも、そのパスワークに冴えを見せていた。中でも、長年代表に呼ばれながらワールドカップのピッチに立つことが無かったバレージの登場は、イタリア人サポーターの心の拠り所となる。30歳にして初めてカテナチオの指揮に就いたバレージは、鉄人ベルゴミと共に粘り強い守備を見せた。ACミランでも鉄壁の守備力を誇っていたバレージは、カテナチオの頭脳として、相手の攻撃の展開を素早く読んで行く。戦力的にも充実していたア・ズーリは、480分間無失点の記録を引っ提げて、準決勝戦が行われるサンパオロスタジアムへと乗り込んだ。しかし、そこで立ちはだかったのは、旋風を巻き起こすユーゴスラビアとのPK戦を制したアルゼンチンだった。やはり、大会前から懸念されていたように、ディエゴ・マラドーナとの戦いが待っていた。イタリアは、デ・アゴスティーニ、ジャンニーニ、ビアリと繋いで、最後はゴイコチェアの弾き返したボールをスキラッチが押し込み先制。ここから、バレージが感情を剥き出しにして、マラドーナとアルゼンチンのアタックを食い止める。マラドーナがボールを持つと、すぐさまゴール前を固めて進路を塞ぐ。徹底された意思疎通を前に、成す術を失ったマラドーナだったが、ボールを放棄することでバレージの集中力を断ち切った。ブルチャガのクロスに飛び込んだカニージャのゴールでアルゼンチンが追い付くと、そこからは信じられない長さのロスタイムが継続する。およそ20分間ものロスタイムが取られ、いつ終わるのか分からない試合は、ようやくPK戦へと縺れ込んだ。セリエAでプレーするマラドーナは、ロベルト・バッジォ、ドナドーニ、デ・アゴスティーニの癖を見抜き、ゴールを守るゴイコチェアに指示を飛ばす。それに従い、ドナドーニとデ・アゴスティーニのシュートをセーブした。地元イタリアとの激戦を制したアルゼンチンだったが、ジュスティやカニージャら、主力4選手が出場停止。万全の態勢で乗り込んでいた西ドイツ“フランツ艦隊”を向こうに回して、もはや戦う力は残されていなかった。3大会連続で対戦したマラドーナとイタリアの因縁も、この試合がクライマックスとなる。 90年イタリア・ワールドカップは、従来の強豪国に比べて、アウトサイダーが目立った大会でもある。ルーマニア、ユーゴスラビア、チェコスロバキアなど、東欧の国々はタレントも豊富で、潜在能力の高さを存分にアピールした。また、開幕戦でアルゼンチンを破ったカメルーンも快進撃を見せている。老練なるストライカー、ロジェ・ミラを先頭に、あれよあれよと勝ち続け、準々決勝へと駒を進めていた。イングランデのリネカーにふたつのPKを決められ力尽きたが、アフリカンパワーへの注目はここから始まる。89年のワールドユースを制したユーゴスラビアは、ベテラン、中堅、若手の各年代が充実の時を向かえていた。ワールドユースで活躍したチームからは、プロシネツキやスーケル、ボバンが加わる。ヨーロッパ予選では、フランスやノルウェーなどのハイレベルなチームが集うグループを戦い、10試合を無敗で乗り切って、ダントツの1位通過を決めている。プラティニ監督率いるフランスとは、敵地パルク・デ・プランスでストイコビッチが芸術的なボレーシュートを放ち、ホーム・アウェイ共に連勝。ヨーロッパのビッグクラブと契約を持つスカウトたちも、ユーゴスラビアに熱い視線を送っていた。しかし、本大会直前のリーグ最終戦で暴動が発生。サポーターを殴打する警官に飛び掛ったボバンに、6ヶ月の出場停止が言い渡された。これでボバンは、イタリア・ワールドカップ出場が水の泡となる。タレント豊富なドリームチームにとって、戦力ダウンとまでは行かなかったものの、チームの勢いには陰りが生じた。西ドイツとの初戦は、1−4と一方的な展開で負けてしまう。左ウイングバックのブレーメを捉え切れず、中央のマテウスにも自由を与えてしまった。しかし、そこからはコロンビアとUAEを一蹴して、前評判通りのパフォーマンスを演じている。決勝トーナメント1回戦では、強豪スペインを敵に回して、ストイコビッチが技を披露。ゴール前でクロスボールの落下を待ち構え、シュートと見せかけトラップ。目の前をバスケスが通過して行くと、落着いてゴール左隅に蹴り込んだ。その後、猛牛と化したバスケスが突進。サリナスのゴールをアシストして、スコアを振り出しに戻したが、延長戦終了直前のFKをストイコビッチが決めて、ユーゴスラビアの準々決勝進出が決まる。準々決勝では、PK戦の末にアルゼンチンに敗れたが、ストイコビッチと戦ったマラドーナは“あなたにはこれからがある”とエールを送った。ユーゴスラビアの活躍は、ワールドカップの勢力図に変化が訪れていることを感じさせた。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
>>1986年メキシコ大会
1990年イタリア大会
>>1994年アメリカ大会 >>World Cup History Top >>Soccer Freaks Road |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||