1990年・第14回イタリア大会総括


ベストイレブン
ポジション 国籍 名前
GK セルヒオ・ゴイコチェア
Sergio Goycochea
DF フランコ・バレージ
Franco Baresi
DF ジュゼッペ・ベルゴミ
Giuseppe Bergomi
DF アンドレアス・ブレーメ
Andreas Brehme
MF ローター・マテウス
Lothar Herbert Matthaus
MF ポール・ガスコイン
Paul Gascoigne
MF ドラガン・ストイコビッチ
Dragan Stojkovic
MF ディエゴ・マラドーナ
Diego Armando Maradona
FW ユルゲン・クリンスマン
Juergen Klinsmann
FW サルバトーレ・スキラッチ
Salvatore Schillaci
FW ロジェ・ミラ
Roger Milla

MVP サルバトーレ・スキラッチ
Salvatore Schillaci
得点王 サルバトーレ・スキラッチ
Salvatore Schillaci

得点者ランクトップ5
6ゴール サルバトーレ・スキラッチ
5ゴール トマス・スクラビー
4ゴール ローター・マテウス
ゲイリー・リネカー
ロジェ・ミラ
ミッチェル

優勝国成績
国名 試合数 対戦成績
7試合 6勝0敗1分け
得点15失点5
 1934年の第2回大会開催から56年の歳月を経て、ワールドカップは再びカルチョの国へと戻ってきた。大会の形式と規模は拡大され、サッカーのルールも改良に改良を重ね、よりスマートなスポーツへと進化している。しかし、高度な組織戦術が編み出されると、次第に守りに重点を置くチームが増え、得点を奪い合うスリリングな試合は激減してしまった。また、年々過密するスケジュールによって、選手の消耗が激しくなり、ベストの状態で出場できないチームも珍しくなくなっていた。そのため、1試合平均得点は2.21と史上最低をマークし、面白みに欠ける大会と称された。この頃、世界トップレベルの選手が集結していたイタリアのプロリーグ・セリエAは、世界最高峰のリーグとして栄華を誇っている。マラドーナ、マテウス、フリット、ジャンニーニ、ドゥンガ、セリエAで優勝争いを繰り広げる選手達が、イタリア・ワールドカップの主役として、世界中の注目を集めることになったのは言うまでも無い。

 6月8日の開幕戦は、いきなりセンセーショナルなドラマが待ち受けていた。マラドーナを要する前回優勝アルゼンチンが、アフリカ代表のカメルーンを相手にまさかの完封負け。世界中のマスコミは驚きと興奮を持って、史上最大の番狂わせとして配信する。イタリアのクラブであるナポリに所属していたマラドーナだが、ワールドカップではア・ズーリの最大の障害になると言われ、何かと目の仇にされていた。そのマラドーナがダークホースのカメルーンに苦戦したことで、スタンドはやんやの喝采でカメルーン代表を盛り立てる。身体能力に優れるカメルーンは、体当たりのサッカーでマラドーナとアルゼンチンを追い込み、2人が退場させられながらも、オマン・ビイクの挙げた1点を守り切った。セリエAのシーズン中に足首を痛めていたマラドーナは精彩を欠き、期待された新戦力のカニージャも、スピード勝負ではカメルーンの怪物たちには歯が立たない。圧倒的な攻撃力を誇っていたアルゼンチンは、もはや4年前の実力を失っていたかに見えた。続いて、ヨーロッパの強豪ソビエト連邦と対戦したが、ここでも思いも寄らないアクシデントがアルゼンチンを襲う。ゴール前で見方DFと交錯した守護神プンピードが、左肩を蹴られて鎖骨を骨折。そのまま戦線離脱を余儀なくされると、アルゼンチンはセカンドゴールキーパのイスラスも不調であったため、“第3の男”と言われたゴイコチェアを起用する。しかし、素人目にも拙いゴイコチェアのセービングは、会場中の失笑を買うことになった。

 守備に安定を失ったアルゼンチンは、マラドーナが下がり目にポジションを取って、バランスの修正を試みる。攻撃的で華麗なサッカーを求められていたディフェンディング・チャンピオンの、あまりにも不甲斐ない試合運びには、世界中のマスコミが失望と怒りの矛先を仕向けた。四面楚歌と化したスタジアムでは、マラドーナやアルゼンチンの選手を野次る声が飛び交い、いつしかマラドーナは悪役のレッテルを貼られてしまう。ソビエト連邦を破り、ルーマニアとは引き分けて、グループを3位で通過したものの、決勝トーナメント1回戦の対戦相手は同じ南米の雄ブラジル。さすがに、マラドーナの命運も尽きたかに思われた。メンバーを大幅に入れ替えていたブラジルは、それまでの攻撃的なスタイルから逸脱を図り、組織守備に重点を置いた近代サッカーを模索していた。チームの中核を担うのは、中盤後方で攻守の切り替えを判断するドゥンガ。セリエAで、逸早くゾーンサッカーを体験していたドゥンガだったが、個性を見せたがる周囲との同調に苦心する。チームは今ひとつ噛み合わないまま、グループリーグの3試合をすべて1点差の僅差で勝利。持ち味の華麗さが失われたことで、“コラソン(魂)を失ったセレソン”と酷評を受けてしまう。周囲の論争に悩まされたブラジルは、マラドーナのアルゼンチンを破ることで、その酷評を振り払いたかった。しかし、20本ものシュートを放ちながらも、人の壁とゴールポストに弾かれ、なかなかゴールが奪えない。反対に、終盤にマラドーナとカニージャのコンビプレーでゴールを奪われ、0−1の完封負けに終わる。国内ではドゥンガに対する批難の声が後を絶たず、チーム改革は暗礁に乗り上げた。

 不調に苦しんだのは、なにも南米のチームばかりではない。88ヨーロッパ選手権で優勝を飾り、大会の優勝候補にも名を連ねたオランダも、ツートップのフリットとファン・バステンが共に故障。魅惑のオランダトリオは、ライカールトを残すのみとなっていた。グループリーグでは得点力不足に悩み、3試合で奪ったゴールは僅か2得点。イングランド、アイルランド、エジプトとの3戦を引き分け、クジ引き抽選で西ドイツとの対戦を引き当ててしまう。88ヨーロッパ選手権、74ワールドカップで激戦を繰り広げた両国にとって、これが事実上の最終ラウンドとなる。オランダのフリット、ファン・バステン、ライカールトの3選手はACミランに所属。西ドイツのマテウス、ブレーメ、クリンスマンの3選手はインターミラノに所属。互いに、チームの主力としてスクデット獲得に貢献しており、その両国がサンシーロスタジアムで対戦することになったのは、サッカー史上に例を見ない舞台設定である。因縁が2重にも3重にも絡みあい、ハイレベルな内容が期待された。試合開始から、オランダが素晴らしい連携で西ドイツゴールを襲ったが、フィニッシュに入ったビンターがゴールに嫌われてしまい、決定機を活かす事が出来ない。西ドイツは、両サイドを使った攻撃で反撃を試みるが、ライカールトが巧みにFWへのパスをカット。フィールドを縦横無尽に動き回るライカールトの守備は完璧で、西ドイツに付け入るスキを与えなかった。しかし、ファウルプレーに苛立ったフェラーが、ライカールトを挑発すると、ライカールトもこれに応戦。互いに罵り合い、人種差別発言に侮辱を感じたライカールトは、フェラーの後頭部にツバを吐き掛ける。2度目の接触で再び舌戦を繰り広げると、両者は揃ってフィールドを後にした。その後、マークが手薄となったクリンスマンは、上手くライン裏へと走り込み、ブレーメのクロスをダイレクトで合わせて、西ドイツに先制ゴールを呼び込んだ。リードを奪われたオランダは、スピードのあるキーフトを投入して反撃を試みる。フリット、ボウタースが決定的な場面でシュートを放ったが、惜しくも枠の中には飛ばなかった。試合終了間際に、ブレーメが芸術的なバナナシュートで追加点を奪うと、サンシーロの死闘に決着が付いた。またしてもオランダは、西ドイツの壁を超えることができなかった。この試合は、イタリア・ワールドカップの事実上の決勝戦と言われている。

 アルゼンチンvsブラジル、西ドイツvsオランダの潰し合いを横目に、危なげなく決勝トーナメントを勝ち進んだのは地元イタリアだった。グループリーグの組み合わせにも恵まれ、通算5試合連続の無失点記録を樹立する。エースとして期待されたヴィアリは得点を奪えなかったが、大会直前に彗星のごとく現われたスキラッチがブレイク。若きロベルト・バッジォとのコンビは抜群で、スキラッチは“ロッシの再来”としてゴールを量産することになった。ローマの王子ジャンニーニや、ユベントスのプレーメーカーであるセレナも、そのパスワークに冴えを見せていた。中でも、長年代表に呼ばれながらワールドカップのピッチに立つことが無かったバレージの登場は、イタリア人サポーターの心の拠り所となる。30歳にして初めてカテナチオの指揮に就いたバレージは、鉄人ベルゴミと共に粘り強い守備を見せた。ACミランでも鉄壁の守備力を誇っていたバレージは、カテナチオの頭脳として、相手の攻撃の展開を素早く読んで行く。戦力的にも充実していたア・ズーリは、480分間無失点の記録を引っ提げて、準決勝戦が行われるサンパオロスタジアムへと乗り込んだ。しかし、そこで立ちはだかったのは、旋風を巻き起こすユーゴスラビアとのPK戦を制したアルゼンチンだった。やはり、大会前から懸念されていたように、ディエゴ・マラドーナとの戦いが待っていた。イタリアは、デ・アゴスティーニ、ジャンニーニ、ビアリと繋いで、最後はゴイコチェアの弾き返したボールをスキラッチが押し込み先制。ここから、バレージが感情を剥き出しにして、マラドーナとアルゼンチンのアタックを食い止める。マラドーナがボールを持つと、すぐさまゴール前を固めて進路を塞ぐ。徹底された意思疎通を前に、成す術を失ったマラドーナだったが、ボールを放棄することでバレージの集中力を断ち切った。ブルチャガのクロスに飛び込んだカニージャのゴールでアルゼンチンが追い付くと、そこからは信じられない長さのロスタイムが継続する。およそ20分間ものロスタイムが取られ、いつ終わるのか分からない試合は、ようやくPK戦へと縺れ込んだ。セリエAでプレーするマラドーナは、ロベルト・バッジォ、ドナドーニ、デ・アゴスティーニの癖を見抜き、ゴールを守るゴイコチェアに指示を飛ばす。それに従い、ドナドーニとデ・アゴスティーニのシュートをセーブした。地元イタリアとの激戦を制したアルゼンチンだったが、ジュスティやカニージャら、主力4選手が出場停止。万全の態勢で乗り込んでいた西ドイツ“フランツ艦隊”を向こうに回して、もはや戦う力は残されていなかった。3大会連続で対戦したマラドーナとイタリアの因縁も、この試合がクライマックスとなる。

 90年イタリア・ワールドカップは、従来の強豪国に比べて、アウトサイダーが目立った大会でもある。ルーマニア、ユーゴスラビア、チェコスロバキアなど、東欧の国々はタレントも豊富で、潜在能力の高さを存分にアピールした。また、開幕戦でアルゼンチンを破ったカメルーンも快進撃を見せている。老練なるストライカー、ロジェ・ミラを先頭に、あれよあれよと勝ち続け、準々決勝へと駒を進めていた。イングランデのリネカーにふたつのPKを決められ力尽きたが、アフリカンパワーへの注目はここから始まる。89年のワールドユースを制したユーゴスラビアは、ベテラン、中堅、若手の各年代が充実の時を向かえていた。ワールドユースで活躍したチームからは、プロシネツキやスーケル、ボバンが加わる。ヨーロッパ予選では、フランスやノルウェーなどのハイレベルなチームが集うグループを戦い、10試合を無敗で乗り切って、ダントツの1位通過を決めている。プラティニ監督率いるフランスとは、敵地パルク・デ・プランスでストイコビッチが芸術的なボレーシュートを放ち、ホーム・アウェイ共に連勝。ヨーロッパのビッグクラブと契約を持つスカウトたちも、ユーゴスラビアに熱い視線を送っていた。しかし、本大会直前のリーグ最終戦で暴動が発生。サポーターを殴打する警官に飛び掛ったボバンに、6ヶ月の出場停止が言い渡された。これでボバンは、イタリア・ワールドカップ出場が水の泡となる。タレント豊富なドリームチームにとって、戦力ダウンとまでは行かなかったものの、チームの勢いには陰りが生じた。西ドイツとの初戦は、1−4と一方的な展開で負けてしまう。左ウイングバックのブレーメを捉え切れず、中央のマテウスにも自由を与えてしまった。しかし、そこからはコロンビアとUAEを一蹴して、前評判通りのパフォーマンスを演じている。決勝トーナメント1回戦では、強豪スペインを敵に回して、ストイコビッチが技を披露。ゴール前でクロスボールの落下を待ち構え、シュートと見せかけトラップ。目の前をバスケスが通過して行くと、落着いてゴール左隅に蹴り込んだ。その後、猛牛と化したバスケスが突進。サリナスのゴールをアシストして、スコアを振り出しに戻したが、延長戦終了直前のFKをストイコビッチが決めて、ユーゴスラビアの準々決勝進出が決まる。準々決勝では、PK戦の末にアルゼンチンに敗れたが、ストイコビッチと戦ったマラドーナは“あなたにはこれからがある”とエールを送った。ユーゴスラビアの活躍は、ワールドカップの勢力図に変化が訪れていることを感じさせた。
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