| 1986年・第13回メキシコ大会総括 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1986年のワールドカップは、当初コロンビアでの開催を予定していたが、治安の悪さと国内情勢の悪化から、各国は代表チームの派遣に懸念を示した。それを受けて、急遽、開催地をメキシコに変更することとなる。1970年に継いで2度目の開催となるメキシコだが、そこはFIFAの実力者アベランジェの知るところ。その権力を行使して、ワールドカップのテレビ放映権管理をスイスの代理店ILSに委託することで、莫大な利益を貪っていた。すべての試合はヨーロッパのテレビ視聴時間に合わせたため、メキシコ現地時間の真昼間に行われた。赤道直下の灼熱の太陽と、高低差の激しい地形条件がネックとなり、大半の試合が場面展開のスピードに欠ける凡戦に終わった。地元メキシコに、南米の雄アルゼンチンとブラジルは、標高の高いメキシコシティとグアダラハラを中心に試合を行ない、西ドイツ、ソビエト、フランス、イングランドは標高の低い地域での試合を余儀なくされる。メキシコシティやグアダラハラは、標高が高い分だけ湿度・気温が低く快適に過ごせるが、問題はケレタロやレオンなどの標高の低い中部地域で、真夏にもなると40度を越える高温地獄と化す。その地獄に送り込まれたのは、優勝候補筆頭のフランスと西ドイツだった。誇り高きプラティニがこの仕打ちを忘れることは無く、ドイツのベッケンバウアーと結束して、現役引退後はFIFA会長の椅子を狙い始める。唯一、標高差のハンデから免れた前回優勝国イタリアだったが、そのイタリアのグループにはアルゼンチンが飛び込み、メキシコシティでの抽選会に激震が走った。こうして、FIFA会長アベランジェの思惑を臭わせる“死のロード”が完成したのである。 圧倒的不利に立たされたヨーロッパの列強は、共に決勝トーナメントでの会場移動を睨んで、グループリーグの試合をスローペースで戦わなければならない。フランスは初出場のカナダに、西ドイツは格下のスコットランドに苦しみ、スタートから躓いてしまう。死のグループに組み込まれた西ドイツの消耗は激しく、主力選手数名を体調不良で欠き、ベストイレブンが出場することは1度として無かった。悲惨だったのは地元メキシコとの準々決勝で、中3日で海抜500mのケレタロから海抜2300mのメキシコシティへと移動した直後の対戦となる。軽度の高山病に見舞れた西ドイツの選手たちは動きが鈍く、その中でひとり気を吐いたのがゴールキーパーのシューマッハーだった。試合は引いて守る西ドイツをメキシコが一方的に攻め続けたが、決定的なチャンスはことごとくシューマッハーのスーパーセービングが跳ね返した。延長戦でも勝負の決着は付かず、0−0のままPK戦に突入する。ここでもシューマッハーが、2人目と3人目のキックを連続ブロックして、メキシコのシナリオにバッドエンディングを書き添えた。延長戦を戦い疲労困憊となった西ドイツは、フランスとの準決勝戦でも防戦一方の試合展開を余儀なくされ、体を張った守りでフランスのシュートを跳ね返し続けるばかり。その戦い方をプラティニが猛烈に批判した。 最も最悪なグループに組み込まれたフランスは、優勝候補として過度の期待を背負ったことも裏目となる。攻撃が噛み合わないまま、カナダとの試合を終了間際のパパンのゴールで、辛くも1−0で乗り切った。しかし、不甲斐ない出来と周囲の評価も悪く、カナダの善戦を称える声だけが付きまとう。続くソビエト戦でも、ラッツの強烈なミドルシュートを浴びてしまい、1−1で引き分けたがフランスの印象は薄かった。ハンガリーとの初戦を6−0で大勝したソビエトは、特失点差のリードをキープしたまま、最終カナダ戦にも勝利を治める。一方のフランスは、ハンガリー戦からようやくエンジンが掛かってきたが、ソビエトに逃げ切りを許してしまい、グループを2位で通過することとなった。決勝トーナメント進出を果たしたものの、優勝の2文字はもはや風前の灯火と化す。順当に勝ち進んでも、1回戦イタリア、準々決勝戦ブラジル、準決勝戦西ドイツ、決勝戦アルゼンチンを倒さなければならない。サッカー界のBIG4と呼ばれる4カ国すべてと戦う上、1回戦のイタリアとはメキシコシティで戦うハンデも付いていた。当時のイタリア代表は、インターミラノの選手を中心に結成されていたが、キャプテンを務めていたセンターバックのシレアは、プラティニのチームメイトでユベントスの選手。インテルの鉄人ベルゴミに、世界最高のセンターバック・シレアが指揮を取るカテナチオは連携不足で、マラドーナとの対戦からペースを乱されていた。その隙を突いたプラティニは、カテナチオの中央でワンツーパスを繰り返して、鮮やかに先制ゴールを奪い取った。 南米の中でも、自由奔放な攻撃でカーニバルと謳われたブラジルは、黄金の中盤に陰りが訪れる。世界レベルの司令塔ジーコが、前年のリーグ最終戦で左膝を負傷して戦線離脱。変わりに指揮を任されたファルカンは、チームの歯車と噛み合わず、自らスランプに陥ってしまう。更には、規律を重んじるテレ・サンターナ監督が、ナイトクラブに出掛けていたレナトとレアンドロを外してしまい、著しく戦力ダウン。黄金の中盤で唯一生残ったソクラテスがキャプテンを務め、チームの攻撃を引っ張ったが、4年前の華やかさは失われたままだった。スペインとの試合をソクラテスのヘディングシュートで1−0。結果だけを見れば無難に勝利を治めているが、試合内容の伴なわない結果だけに、サポーターは戸惑いを隠し切れない。国内では、早くもレナトを招集しなかったことが指摘され、4年前の思い出がリピートされる。続くアルジェリア戦も、カレッカのゴールで連勝に導くが、オフサイド臭いゴールに周囲の反応は冷たかった。早々とグループ突破を果たしたブラジルは、第3戦で傷の癒えないジーコをテスト。新戦力の右サイドバック・ジョジマールも加え、攻撃に拍車が掛かる。しかし、カレッカとコンビを組んだミューレルの出来は悪く、決定力不足との批判は止まなかった。4年前のチームが素晴らしかっただけに、今回のチームには自然と厳しい目が向けられていた。 決勝トーナメントに勝ち進んだブラジルは、ジョジマールの活躍によって、ようやくベストの布陣を見出して行く。モンテレーから移動してきたポーランドを4−0と圧倒。ようやく、ブラジルらしさが戻ったと手放しの評価を集める。そして、イタリアを倒して勝ち進んだ強豪フランスとの対戦に挑む。4年前の両国ならば、ハイレベルな選手が多数名を連ねており、その実力は拮抗していた。しかし、ブラジルの戦力ダウンと、レオンでの戦いに苦しんだフランスの状態が悪く、夢のカードと言われた対決はスローペースで立ち上がる。ゴールキーパーへのバックパスルールが、まだ改善されておらず、DFラインでのボールを扱いも多い。超攻撃的と称えられた両国の戦いは、鍔迫り合いの形相を呈した。最初にゴールを挙げたのはブラジルのエース・カレッカ。中央からダイレクトパスを繋いで、最後はフリーでボールを受けたカレッカが落着いて、ゴール隅にシュートを突き刺した。負けじとフランスも、前半終了間際にプラティニが同点ゴールを叩き込む。中央でパスを叩いたプラティニは、一直線にサイドへ旋回してフィニッシュ。試合は1−1のまま、両国のゴールキーパーがファインセーブを披露して、一進一退の攻防を繰り広げる。ハイライトは、ミューレルが倒された場面でのPK。キッカーには、そのミューレルに変わって登場したジーコが選ばれた。調子が上向かないジーコに得点を挙げさせ、チームに活気を取り戻そうとしたが、その狙いはもろくも崩れ去る。ジーコの放ったシュートは、バツの脇腹辺りに飛んでしまい、簡単に弾かれてしまった。その後、両国共に追加点が奪えないまま、試合はPK戦に。このPK戦では、ブラジルのソクラテスとフランスのプラティニが外して、劇的なシナリオにドラマが付け加えられた。 FIFAの勢力図が浮き掘りとなった中、主役に登り詰めたのは、各国の記者が最も注目するディエゴ・マラドーナのアルゼンチンだった。1982スペイン・ワールドカップで不遇の時を過ごしたマラドーナは、肉体を筋肉の鎧に作り変えて現われた。反則覚悟のファウルにも屈しず、脅威的な突進力でアルゼンチンの攻撃を先導する。コンビを組んだバルダーノとの意思疎通も抜群で、チーム14得点中のすべてのゴールに2人が絡んでいた。韓国との初戦では、実力を見せることなく秒殺。日本を倒して出場を決めた韓国だけに、その注目度は高かったが、アルゼンチンと戦うレベルではなかった。続いて、第2試合では、4年前に大きな借りがある宿敵イタリアとの対戦。しかし、開始早々にアルトベリーのクロスをハンドに取られてしまい、不可解なPKで失点を喫する。その後、守りに入ったイタリアだったが、マラドーナの意表をつくプレーで同点に追い付いた。第1試合でイタリアが引き分けていたため、アルゼンチンは勝ち急ぐことなく、最終戦での勝負に順位争いを持ち込む。そして、ヨーロッパでも弱小国の部類に入るブルガリアを2−0で一蹴した。アルゼンチンに次いで2位となったイタリアは、決勝トーナメント1回戦でフランスに敗れて姿を消すことに。一方のアルゼンチンも、南米の古豪ウルグアイのラフプレーに苦しんだが、マラドーナとバルダーノが囮となり、裏から抜け出したパスクリが決めて、南米2位対決に終止符を打つ。このウルグアイ戦は、アルゼンチンが戦った試合の中で唯一、アステカスタジアムを離れたものだった。 勢いを見せつけるアルゼンチンは、準々決勝戦でサッカーの母国イングランドを迎え撃つ。グループリーグから苦戦の続いたイングランドは、リネカーがエースとして覚醒しつつあった。直前のポーランド戦とパラグアイ戦で5ゴールを挙げ、得点ランキングのトップに立つ。ここに来てイングランドは、リネカーの得点パターンを作るため、元チームメイトで相性の良いスティーブンを起用していた。しかし、アルゼンチンとの試合では、守り重視の試合を展開して、マラドーナとバルダーノの攻撃を受けてしまう。3人4人の選手がマラドーナの前に立ちはだかったが、それでも食い止めるだけで精一杯。辛うじて、前半を無失点に押さえていた。しかし、後半の立ち上がり、遂にマラドーナが先制ゴールを決める。空中でシルトンと競り合ったマラドーナは、左腕でイングランドゴールにボールを飛ばしたが、審判はハンドを取らないでゴールを認める。これに動揺したイングランドは、守備から攻撃へと前のめりに仕掛けたが、反対にマラドーナが5人の選手をかわして、止めのゴールを突き刺した。ゴッドハンドと5人抜き、衝撃的な5分間の出来事によって、マラドーナは生きる伝説と化した。イングランドは、終盤にバーンズを投入して反撃を試みたが、この交代はあまりにも遅過ぎる英断だった。 マラドーナの活躍で、一気に波に乗ったアルゼンチンは、ベルギーとの準決勝でも圧倒的な力の差を見せつける。バルダーノ、ブルチャガとのコンビネーションで、マラドーナは2試合連続の2ゴール。たちまちにして、得点王争いにまで名乗りを挙げた。アルゼンチンの前では成す術無く敗れたベルギーだが、ソビエト、スペインを破り、前評判を覆す意外な活躍を見せる。クーレマンス、シーフォを中心に、激しい点取り合戦を演じた好チームだった。決勝戦に勝ち進んだアルゼンチンは、満身創痍の西ドイツとアステカスタジアムで激突。西ドイツは、得点王を狙うマラドーナのショータイムに付合わされたが、マラドーナにだけはゴールを許さなかった。ブラウン、バルダーノのゴールで2点差を付けられてからは、攻撃に転じて同点に追い付いている。ポジション毎に仕事のできるタレントを揃えており、ベストの布陣さえ組むことが出来たなら、優勝していてもおかしくはなかった。大会MVPに選ばれたマラドーナは、4人5人のDFの壁をまったくものともしない突進は迫力満点で、地元メキシコの大観衆を魅了した。マラドーナの登場がサッカー界の異端とされるのも、組織守備の理念を根底から覆す、攻撃の駆け引きがあったからだろう。これまでの戦術進化の歴史を嘲笑うかのように、マラドーナは心理戦に超越していた。そのマラドーナを活かすためのマラドーナ・システムで、アルゼンチンはメキシコ大会の優勝を勝ち取ったのである。 |
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