1982年・第12回スペイン大会


ベストイレブン
ポジション 国籍 名前
GK ディノ・ゾフ
Dino Zoff
DF クラウディオ・ジェンティーレ
Claudio Gentile
DF ガエタノ・シレア
Geatano Scirea
DF アントニオ・カブリーニ
Antonio Cabrini
DF オスカー・ベルナルディー
Oscar Bernardi
MF パウロ・ロベルト・ファルカン
Paulo Roberto Falcao
MF アラン・ジレス
Alain Giresse
MF ズビグニェフ・ボニェク
Zbigniew Boniek
MF ジーコ
Zico
FW パオロ・ロッシ
Paolo Rossi
FW ピエール・リトバルスキー
Pierre Littbarski

MVP パオロ・ロッシ
Paolo Rossi
得点王 パオロ・ロッシ
Paolo Rossi

得点者ランクトップ5
6ゴール ロッシ
5ゴール ルンメニゲ
4ゴール ジーコ
ボニェク
3ゴール ファルカン
ジレス
アームストロング

優勝国成績
国名 試合数 対戦成績
7試合 4勝0敗3分け
得点12失点6
 スペイン大会からは、16カ国しか用意されていなかった出場枠が24カ国に増枠されて、各地域ごとに出場枠が設けられることになった。それまでの大会では、アジア・アフリカが統一されていたため、各地域のサッカー協会は反発の意思を表明する意味で、たびたびボイコットする動きを見せていた。新たに設けられた枠組は、欧州"14"カ国、南米"4"カ国、中南米"2"カ国、アフリカ"2"カ国、アジア"1"カ国、オセアニア"1"カ国。日本が所属するアジアの代表は、中東のクウェートに決定した。中東諸国がアジア地域に組み込まれていることについても、非常に強い反発があり、近い将来は中東とアジアで枠組を設けるべきだと指摘されている。

 クウェートは、初戦でヨーロッパの強豪チーム、チェコスロバキアと引き分ける幸先の良いスタートを切る事に成功した。パネンカにPKを決められたが、後半にエースのアル・ダヒルがシュートを決めて1−1。気を良くしていたクウェートの前に現れたのは、“ナポレオン”ことミッシェル・プラティニのいるフランスだった。フランスは初戦でイングランドに1−3と完敗していたため、得失点差を稼ぐためにもクウェートゴールへ次々と攻め込んできた。ジャンジーニが前半31分に先制すると、続けてプラティニがゴールして前半を2−0。後半にもシス、ボッシが追加点を奪ったが、ここで試合は中断。チームの大敗に溜まりかねたクウェートの皇太子が乱入して、4点目のゴールを取り消すように要請した。FIFAは罰金を課しながらも、要請通りにゴールを取り消した。結局、ロスタイムにも追加点を奪われ、クウェートは1−4でフランスに破れてしまう。惨敗を喫したクウェートは、最終戦でイングランドの名手シルトンからゴールが奪えず、2敗1引き分けで大会を後にした。

 1次リーグで予想以上の活躍を見せたのは、アフリカの代表として乗り込んできたアルジェリアだった。ポルトガルでプレーするエース・ストライカーのマジェールを中心に、ジダンとアサドのスピードで速攻を仕掛けて、初戦で西ドイツを2−1で破った。これまでに出場してきたアフリカのチームとは異なり、巧みなテクニックとしなやかなスピードで、身体能力の高さを見せつけた。しかし、オーストリア戦では経験のなさを露呈して、カウンターからシャヒナーとクランクルにゴールを奪われ、2−0の完封負けに終わる。チリとの最終戦に2次リーグ進出の可能性を残していたが、アルジェリアが3−2でチリを倒した翌日、オーストリアが西ドイツに1−0で負けてしまい、得失点差からアルジェリアの1次リーグ敗退が決定した。アルジェリアの関係者は、オーストリアと西ドイツの試合に付いて抗議を行ない、この大会以降は最終戦を同日・同時刻に開始することが定められる。

 イングランド、北アイルランド、スコットランドの3地域が出場したイギリス勢は、いずれもハイレベルな試合を演じて、サッカーの母国としての威信を見せてくれた。北アイルランドは、開催国スペインを破る金星を挙げて、1次リーグを無敗で突破。イングランドも、無失点で3連勝を飾り、守護神ピーター・シルトンがその存在を大きくアピールする。スコットランドは、王国ブラジルに1−4と大敗してしまい、1次リーグ突破こそ果たせなかったが、ソビエト連邦と引き分け、初出場のニュージーランドには5−2で圧勝している。不運に見舞われたのは2次リーグに進んだイングランドで、無失点に抑えながらも無得点に終わり、無敗のまま大会を去ることになった。守備陣には豊富なタレントを抱えていたが、攻撃陣は今ひとつ。決定力不足に泣いたイングランドは、国内で激しい論戦が行われた末、4年後のメキシコ大会に向けて、エバートンの若きストライカー、ゲイリー・リネカーの才能にすべてを托すことになる。

 アルゼンチン大会でデビューを果たせなかったマラドーナも、満を持して、ワールドカップのピッチに姿を現した。10年にひとりの天才と言われるだけあって、各国のマークは厳しく汚く、マラドーナは思うようにプレーさせてもらえない。ベルギーとの試合では、まさかの完封負けを喫してしまい、散々なデビュー戦に終わった。続くハンガリー戦では、2ゴールを奪って才能の片鱗を輝かせたが、2次リーグでもブラジルやイタリアのマークに苦しみ、苛立ちから報復行為を働いて退場処分となる。イタリアはタイトマークに優れるディフェンダーを揃えており、ブラジルは“クワトロ・オーメン・ジ・オーロ(黄金の中盤)”と呼ばれる中盤が優れていたが、マラドーナとの戦いでは容赦無いファウルを見舞ってきた。マラドーナが精神的に幼いとはいえ、通常のルールでジャッジが行われたならば、イタリアもブラジルも退場者が続出するほど悪質だった。しかし、アルゼンチン大会の運営方法が悪過ぎただけに、マラドーナへの報復も当然のことである。

 アルゼンチンを押し退けたイタリアとブラジルは、決勝トーナメント進出を掛けて、世紀の大一番を迎える。圧倒的な攻撃力を誇るブラジルに比べると、イタリアは1次リーグで2得点しか奪えず、3引き分けに終わっていた。八百長疑惑による出場停止明けのロッシを代表に選んだことで、チーム内には内紛が勃発。ベアルツォット監督は、選手の信頼を無くしつつあった。ロッシも孤立することが多く、チームは攻撃の形を見出せずにいた。そんなイタリアのチーム事情だけに、当のイタリアのマスコミでさえも、ブラジル勝利を疑わなかった。しかし、試合が始まってみると、序盤から攻勢を仕掛けたイタリアが、ロッシのゴールで先制する。ブラジルは、ボールをキープする時間こそ長いが、試合の主導権を掴んだのはイタリアだった。中盤の頭脳ジーコを潰すために、タルデリが猛烈なジャージで吹き飛ばしたが、現行のルールならば一発退場である。イタリア・ディフェンダーのラフプレーは目に余るものがあり、ブラジルの中盤から華麗さが消えて行く。前半12分には、ジーコのパスを受けたソクラテスが飛び出し、ディノ・ゾフの脇を抜いて同点としたが、再びロッシにゴールを割られて、前半は2−1でイタリアのリードで終了する。ゴール前で、ジーコに決定的なチャンスが巡ってきたが、気の逸るセルジーニョが妨害してしまい、追いつくことは出来なかった。低迷していたロッシに対する、ブラジルの選手たちの意識は甘く、再三に渡ってロッシがフリーとなった。後半も、ファルカンのミドルシュートで追いつきながら、三度ロッシにゴールを割られて、ブラジルは1度もリードを奪うことなく敗れ去った。ブラジルは、引き分けでも決勝トーナメント進出が可能だったにも関わらず、攻撃の手を緩めようとはしなかった。非常に強いポリシーを感じさせる戦いで、1970年のペレ以降のブラジル代表の中では、最も高く評価されている。試合終了間際に、イタリアのカブリーニが4点目のゴールを奪ったとき、慌てて審判が取り消したのも、このチームに対する思い入れからなのだろう。

 ブラジル戦のハットトリックで勢いづいたロッシは、決勝トーナメントに入ってから、さらにプレーに切れ味が増してきた。ポーランドとの準決勝戦で2ゴールを奪うと、楽々とイタリアを決勝戦に導いた。そのイタリアと決勝を戦うのは、西ドイツとフランスの勝者。ブラジルに勝るとも劣らない華麗な中盤を持つフランスは、西ドイツの粘り強さに梃子摺らされる。西ドイツは、リトバルスキーが得意のドリブルから1点を奪うと、自陣に引き気味になり、フランスの攻撃を受け止めた。対するフランスは、ロシュトーが倒されて得たPKをプラティニが決めて追いついたが、決定力を欠くシーンが多く、試合は延長戦へ。ジャンジーニに替って、途中から出場していたバチストンは、直後の決定機に西ドイツのゴールキーパー、シューマッハーと激しく衝突して、前歯2本を折り、頚椎を痛める重傷で退場してしまう。怒りが頂点に達したプラティニは審判に詰め寄ったが、シューマッハーに対してはイエローカードすら提示されなかった。延長戦に入ると、フランスの攻撃が火を吹いた。セットプレーから、ジレスのパスがディフェンスに当ったところをトレゾールがボレーシュートを放ち、さらに“小さな巨人”アラン・ジレスが強烈なシュートを叩き込んで、一気に2点のリードを奪い取る。しかし、西ドイツもリトバルスキーのクロスに、途中出場のルンメニゲが体ごと押し込んで、反撃の狼煙を上げる。延長後半には、フィッシャーがオーバーヘッドキックでシュートを放ち、同点ゴール。白熱した試合は延長戦でも決着が付かず、史上初のPK戦へともつれ込む。ここで、西ドイツの最後のキッカーとなったシュティーリケがミス。西ドイツの命運も尽きたかに思われたが、ここからシューマッハーがボッシをストップして振り出しに戻す。そして、6人目のジレスが外すと、西ドイツの決勝進出が決まった。

 準決勝戦で持てる力のすべてを出し尽くした西ドイツに、決勝戦でイタリアと戦う力は残されていなかった。好ゲームを期待された両チームだが、互いに悪質なファウルの応酬で、史上最低の決勝戦と罵られてしまった。前半は共に無得点。スリルに欠ける試合だったが、後半にイタリアが攻勢に転じて、一気に決着を着ける。コーナーキックをロッシが頭で合わせて先制すると、10分後には中盤の底にいたタルデリが、強烈なミドルシュートを決めて喜びを爆発させた。西ドイツは、チャンスメーカーのリトバルスキーが完封されてしまい、思うように攻撃の形が作れない。イタリアは、アルトベリのゴールで3点のリードを奪い、ほぼ優勝を手中に収める。終了5分前に、ブライトナーが1点を返したが及ばず。44年振りに、イタリアがワールドカップの栄冠を手に入れた。1次リーグで3引き分けに終わったものの、序盤からペースをあげなかったことによって、イタリアは終盤戦に粘り強さを発揮することが出来た。優勝したイタリアは強かったが、それにも増して、ブラジルやフランスのサッカーが素晴らしかった。各国にスター選手が台頭し、ハイレベルな戦いがいくつも見られ、過去の大会以上に、エンターテイメント性の高いワールドカップだった。この大会で屈辱を受けたマラドーナは、4年後のメキシコ大会での再起を近い、スペインの地を後にした。
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