| 1982年・第12回スペイン大会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
スペイン大会からは、16カ国しか用意されていなかった出場枠が24カ国に増枠されて、各地域ごとに出場枠が設けられることになった。それまでの大会では、アジア・アフリカが統一されていたため、各地域のサッカー協会は反発の意思を表明する意味で、たびたびボイコットする動きを見せていた。新たに設けられた枠組は、欧州"14"カ国、南米"4"カ国、中南米"2"カ国、アフリカ"2"カ国、アジア"1"カ国、オセアニア"1"カ国。日本が所属するアジアの代表は、中東のクウェートに決定した。中東諸国がアジア地域に組み込まれていることについても、非常に強い反発があり、近い将来は中東とアジアで枠組を設けるべきだと指摘されている。 クウェートは、初戦でヨーロッパの強豪チーム、チェコスロバキアと引き分ける幸先の良いスタートを切る事に成功した。パネンカにPKを決められたが、後半にエースのアル・ダヒルがシュートを決めて1−1。気を良くしていたクウェートの前に現れたのは、“ナポレオン”ことミッシェル・プラティニのいるフランスだった。フランスは初戦でイングランドに1−3と完敗していたため、得失点差を稼ぐためにもクウェートゴールへ次々と攻め込んできた。ジャンジーニが前半31分に先制すると、続けてプラティニがゴールして前半を2−0。後半にもシス、ボッシが追加点を奪ったが、ここで試合は中断。チームの大敗に溜まりかねたクウェートの皇太子が乱入して、4点目のゴールを取り消すように要請した。FIFAは罰金を課しながらも、要請通りにゴールを取り消した。結局、ロスタイムにも追加点を奪われ、クウェートは1−4でフランスに破れてしまう。惨敗を喫したクウェートは、最終戦でイングランドの名手シルトンからゴールが奪えず、2敗1引き分けで大会を後にした。 1次リーグで予想以上の活躍を見せたのは、アフリカの代表として乗り込んできたアルジェリアだった。ポルトガルでプレーするエース・ストライカーのマジェールを中心に、ジダンとアサドのスピードで速攻を仕掛けて、初戦で西ドイツを2−1で破った。これまでに出場してきたアフリカのチームとは異なり、巧みなテクニックとしなやかなスピードで、身体能力の高さを見せつけた。しかし、オーストリア戦では経験のなさを露呈して、カウンターからシャヒナーとクランクルにゴールを奪われ、2−0の完封負けに終わる。チリとの最終戦に2次リーグ進出の可能性を残していたが、アルジェリアが3−2でチリを倒した翌日、オーストリアが西ドイツに1−0で負けてしまい、得失点差からアルジェリアの1次リーグ敗退が決定した。アルジェリアの関係者は、オーストリアと西ドイツの試合に付いて抗議を行ない、この大会以降は最終戦を同日・同時刻に開始することが定められる。 イングランド、北アイルランド、スコットランドの3地域が出場したイギリス勢は、いずれもハイレベルな試合を演じて、サッカーの母国としての威信を見せてくれた。北アイルランドは、開催国スペインを破る金星を挙げて、1次リーグを無敗で突破。イングランドも、無失点で3連勝を飾り、守護神ピーター・シルトンがその存在を大きくアピールする。スコットランドは、王国ブラジルに1−4と大敗してしまい、1次リーグ突破こそ果たせなかったが、ソビエト連邦と引き分け、初出場のニュージーランドには5−2で圧勝している。不運に見舞われたのは2次リーグに進んだイングランドで、無失点に抑えながらも無得点に終わり、無敗のまま大会を去ることになった。守備陣には豊富なタレントを抱えていたが、攻撃陣は今ひとつ。決定力不足に泣いたイングランドは、国内で激しい論戦が行われた末、4年後のメキシコ大会に向けて、エバートンの若きストライカー、ゲイリー・リネカーの才能にすべてを托すことになる。 アルゼンチン大会でデビューを果たせなかったマラドーナも、満を持して、ワールドカップのピッチに姿を現した。10年にひとりの天才と言われるだけあって、各国のマークは厳しく汚く、マラドーナは思うようにプレーさせてもらえない。ベルギーとの試合では、まさかの完封負けを喫してしまい、散々なデビュー戦に終わった。続くハンガリー戦では、2ゴールを奪って才能の片鱗を輝かせたが、2次リーグでもブラジルやイタリアのマークに苦しみ、苛立ちから報復行為を働いて退場処分となる。イタリアはタイトマークに優れるディフェンダーを揃えており、ブラジルは“クワトロ・オーメン・ジ・オーロ(黄金の中盤)”と呼ばれる中盤が優れていたが、マラドーナとの戦いでは容赦無いファウルを見舞ってきた。マラドーナが精神的に幼いとはいえ、通常のルールでジャッジが行われたならば、イタリアもブラジルも退場者が続出するほど悪質だった。しかし、アルゼンチン大会の運営方法が悪過ぎただけに、マラドーナへの報復も当然のことである。 アルゼンチンを押し退けたイタリアとブラジルは、決勝トーナメント進出を掛けて、世紀の大一番を迎える。圧倒的な攻撃力を誇るブラジルに比べると、イタリアは1次リーグで2得点しか奪えず、3引き分けに終わっていた。八百長疑惑による出場停止明けのロッシを代表に選んだことで、チーム内には内紛が勃発。ベアルツォット監督は、選手の信頼を無くしつつあった。ロッシも孤立することが多く、チームは攻撃の形を見出せずにいた。そんなイタリアのチーム事情だけに、当のイタリアのマスコミでさえも、ブラジル勝利を疑わなかった。しかし、試合が始まってみると、序盤から攻勢を仕掛けたイタリアが、ロッシのゴールで先制する。ブラジルは、ボールをキープする時間こそ長いが、試合の主導権を掴んだのはイタリアだった。中盤の頭脳ジーコを潰すために、タルデリが猛烈なジャージで吹き飛ばしたが、現行のルールならば一発退場である。イタリア・ディフェンダーのラフプレーは目に余るものがあり、ブラジルの中盤から華麗さが消えて行く。前半12分には、ジーコのパスを受けたソクラテスが飛び出し、ディノ・ゾフの脇を抜いて同点としたが、再びロッシにゴールを割られて、前半は2−1でイタリアのリードで終了する。ゴール前で、ジーコに決定的なチャンスが巡ってきたが、気の逸るセルジーニョが妨害してしまい、追いつくことは出来なかった。低迷していたロッシに対する、ブラジルの選手たちの意識は甘く、再三に渡ってロッシがフリーとなった。後半も、ファルカンのミドルシュートで追いつきながら、三度ロッシにゴールを割られて、ブラジルは1度もリードを奪うことなく敗れ去った。ブラジルは、引き分けでも決勝トーナメント進出が可能だったにも関わらず、攻撃の手を緩めようとはしなかった。非常に強いポリシーを感じさせる戦いで、1970年のペレ以降のブラジル代表の中では、最も高く評価されている。試合終了間際に、イタリアのカブリーニが4点目のゴールを奪ったとき、慌てて審判が取り消したのも、このチームに対する思い入れからなのだろう。 ブラジル戦のハットトリックで勢いづいたロッシは、決勝トーナメントに入ってから、さらにプレーに切れ味が増してきた。ポーランドとの準決勝戦で2ゴールを奪うと、楽々とイタリアを決勝戦に導いた。そのイタリアと決勝を戦うのは、西ドイツとフランスの勝者。ブラジルに勝るとも劣らない華麗な中盤を持つフランスは、西ドイツの粘り強さに梃子摺らされる。西ドイツは、リトバルスキーが得意のドリブルから1点を奪うと、自陣に引き気味になり、フランスの攻撃を受け止めた。対するフランスは、ロシュトーが倒されて得たPKをプラティニが決めて追いついたが、決定力を欠くシーンが多く、試合は延長戦へ。ジャンジーニに替って、途中から出場していたバチストンは、直後の決定機に西ドイツのゴールキーパー、シューマッハーと激しく衝突して、前歯2本を折り、頚椎を痛める重傷で退場してしまう。怒りが頂点に達したプラティニは審判に詰め寄ったが、シューマッハーに対してはイエローカードすら提示されなかった。延長戦に入ると、フランスの攻撃が火を吹いた。セットプレーから、ジレスのパスがディフェンスに当ったところをトレゾールがボレーシュートを放ち、さらに“小さな巨人”アラン・ジレスが強烈なシュートを叩き込んで、一気に2点のリードを奪い取る。しかし、西ドイツもリトバルスキーのクロスに、途中出場のルンメニゲが体ごと押し込んで、反撃の狼煙を上げる。延長後半には、フィッシャーがオーバーヘッドキックでシュートを放ち、同点ゴール。白熱した試合は延長戦でも決着が付かず、史上初のPK戦へともつれ込む。ここで、西ドイツの最後のキッカーとなったシュティーリケがミス。西ドイツの命運も尽きたかに思われたが、ここからシューマッハーがボッシをストップして振り出しに戻す。そして、6人目のジレスが外すと、西ドイツの決勝進出が決まった。 準決勝戦で持てる力のすべてを出し尽くした西ドイツに、決勝戦でイタリアと戦う力は残されていなかった。好ゲームを期待された両チームだが、互いに悪質なファウルの応酬で、史上最低の決勝戦と罵られてしまった。前半は共に無得点。スリルに欠ける試合だったが、後半にイタリアが攻勢に転じて、一気に決着を着ける。コーナーキックをロッシが頭で合わせて先制すると、10分後には中盤の底にいたタルデリが、強烈なミドルシュートを決めて喜びを爆発させた。西ドイツは、チャンスメーカーのリトバルスキーが完封されてしまい、思うように攻撃の形が作れない。イタリアは、アルトベリのゴールで3点のリードを奪い、ほぼ優勝を手中に収める。終了5分前に、ブライトナーが1点を返したが及ばず。44年振りに、イタリアがワールドカップの栄冠を手に入れた。1次リーグで3引き分けに終わったものの、序盤からペースをあげなかったことによって、イタリアは終盤戦に粘り強さを発揮することが出来た。優勝したイタリアは強かったが、それにも増して、ブラジルやフランスのサッカーが素晴らしかった。各国にスター選手が台頭し、ハイレベルな戦いがいくつも見られ、過去の大会以上に、エンターテイメント性の高いワールドカップだった。この大会で屈辱を受けたマラドーナは、4年後のメキシコ大会での再起を近い、スペインの地を後にした。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
>>1978年アルゼンチン大会
1982年スペイン大会
>>1986年メキシコ大会 >>World Cup History Top >>Soccer Freaks Road |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||