1974年・第10回西ドイツ大会


ベストイレブン
ポジション 国籍 名前
GK ロニー・ヘルストレーム
Ronnie Hellstrom
DF ベルティ・フォクツ
Berti Vogts
DF フランツ・ベッケンバウアー
Franz Beckebauer
DF ルイス・ペレイラ
Luiz Edmundo Pereira
DF フランシスコ・マリーニョ
Francisco Chagas Marinho
MF ヨハン・ニースケンス
Johan Neeskens
MF カジミエシュ・ディナ
Kazimierz Deyna
MF ビリー・ブレンナー
Billy Bremner
FW グジェゴシュ・ラトー
Gregors Lato
FW ヨハン・クライフ
Johan Cruyff
FW ロベルト・ガドハ
Robert Gadocha

MVP

得点王 グジェゴシュ・ラトー
Gregors Lato

得点者ランクトップ5
7ゴール ラトー
5ゴール シャルマッハ
ニースケンス
4ゴール レップ
ミュラー
エドストレーム

優勝国成績
国名 試合数 対戦成績
7試合 6勝1敗0分け
得点13失点3
 記念すべき10回目のワールドカップとなった西ドイツ大会は、革命的とも言われる新しいサッカーが登場した。リヌス・ミケルス監督率いる初出場のオランダは、1970年から1973年にチャンピオンズカップ3連覇を達成した、名門アヤックスの選手で構成されており、選手が流動的にポジションを変えるローテーション・システムで旋風を巻き起こした。フォーワードからディフェンダーまで、全ての選手が守りを意識し、そして攻撃に参加する。全員守備・全員攻撃を掲げたサッカーは、“トータルフットボール”と名付けられた。今でこそサッカーの常識となっているこれらの決まり事も、元をただせば、すべては西ドイツ大会のオランダをルーツにしている。チームの中核を担うクライフの存在感と共に、オランダは今なお語り継がれる、特別な存在として認識されることになった。

 前回3度目の優勝を果たしたブラジルは、ペレが去り、ひとつの区切りが設けられた。ペレが愛用した10番は、リベリーノが背負うことになる。前回優勝時の主力メンバーが、半分近くも抜けたブラジルは、攻撃力低下が否めなかった。エメルソン・レオンを中心とした守備陣は充実していたが、鮮やかな攻撃を展開した攻撃陣の見劣りは、ファンに大きな失望を与えることになる。1次リーグ3試合を戦い、ブラジルが挙げた得点は、初出場のザイールから奪った3得点のみ。強豪ユーゴスラビアとスコットランドが相手だったとは言え、2試合連続無得点のスタートが、ファンの失望をさらに深めてしまった。1勝2引き分けで並んだ3チームは、ユーゴスラビアとブラジルが、得失点差でスコットランドを上回り、1次リーグ通過となる。

 ブラジルが得点力不足で苦しんでいた頃、圧倒的な攻撃力でパフォーマンスを披露していたのがポーランドだった。1938年フランス大会以来の出場となるポーランドは、中盤にカスペルチャクやラトーを配して、両サイドを攻め崩す速攻から次々と強豪国を撃破してゆく。“闘牛士”ケンペスのいるアルゼンチンに対しては、序盤から一方的に攻め込む展開で、ラトー、シャルマッハの連続ゴールで突き放した。アルゼンチンもエレディアとバビントンのゴールで追い上げたが、1歩及ばず2−3で敗れ去った。続く第2戦でも、ハイチを相手に7ゴールと大量得点を奪い、1次リーグ首位で通過を決める。消化試合となったイタリア戦も、シャルマッハとディナのゴールで難無く勝利を治めた。

 2次リーグに入ると、さすがに各国の対策も厳しく、ポーランドの攻撃も勢いを弱める。巨漢を誇るスウェーデンとの対戦は、前半終了間際にラトーが決めたゴールで辛うじて勝利した。続いて、ユーゴスラビアを2−1で倒したが、同グループの首位を争う西ドイツも2連勝を飾り、得失点差で負けるポーランドは、西ドイツを倒さなければならない状況に陥った。引き分けでも決勝戦に進める西ドイツは、ベッケンバウアーやフォクツを中心に手堅く守りを固めたが、たびたび冷や汗をかかされる場面に遭遇した。ゴールキーパー・マイヤーのスーパーセービングに救われた西ドイツは、終盤にミュラーがゴールを奪い、難敵ポーランドを沈めることに成功する。破れたポーランドは、3位決定戦へと回り、王者ブラジルを1−0で倒して、3位の好成績でワールドカップを終える。中盤の底から攻め上がって行くポーランドのサッカーも、ヨーロッパではオランダと共にトータルフットボールのひとつとして高く評価されている。

 注目のオランダは、1次リーグでウルグアイとブルガリアを破り、2勝1引分けで2次リーグへと進んでいる。ツートップを組むクライフとレンセンブリンクは、2列目のニースケンスとポジションをチェンジしながら、巧みに相手ディフェンスを混乱に落し入れた。次々と選手が入れ替わるため、マンマーク主体でフォワードを潰しに掛かる当時の常識では、オランダの選手を封じることができずにいた。さらに、オランダの選手からボールを奪い取っても、オーバラップしてきたディフェンダーとフォワードの選手に取り囲まれ、たちまちにして形成逆転に持ち込まれる。高い位置で次々とボールをインターセプトするオランダは、畳み掛けるように攻撃の手数を増やすことが可能だった。そこで、対戦チームが苦し紛れにロングボールを使おうとも、オランダはディフェンスラインを押し上げで、意図的にオフサイドの状況を作り出して対応した。打つ手が見出せずに敗れ去ったウルグアイの選手は、落胆の色を隠せず、惨敗を期して大会を後にした。

 現在のサッカーでは、オーバーラップしたバックスが、慌てて最終ラインへ戻って来るシーンを見掛けるが、オランダのローテーション・システムでは、バックスがオーバーラップしたあとにできるスペースを他の選手がカバーすることで、バックスの選手はそのまま前線からプレシャーを仕掛けることが出来た。無駄にスタミナを消耗しないため、長時間にわたって、激しいプレスを可能にすることができたのである。オランダのもうひとつの特徴は、試合開始直後の落着かない時間帯を狙うことだった。開始10分以内に得点を奪うことが多く、相手にボールをキープさせるゆとりを消し去ってから、自分たちはじっくりとボールを扱う流れへ持ち込んでいる。サッカー選手の心理的変化を逆手に取り、巧妙な戦術上でシステムが機能されていたことが良く分かる。良い面ばかりを取り上げると、素晴らしいサッカーを展開していたように思われるが、オランダの1次リーグの試合では後方からの悪質なファウルも多く、“ハンターフット(足を狩る)”という汚名も頂戴していたようである。

 2次リーグへ勝ち進んだオランダは、ブラジルとアルゼンチンの南米チームと戦った。第1戦アルゼンチンとの試合では、前半11分に暗い不のゴールで先制すると、クロル、レップが追加点を奪い、後半のロスタイムにクライフが止めを刺して、4−0と圧倒的な強さを見せつけた。終始オランダニ主導権を握られたアルゼンチンも、この試合で自身を失い、東ドイツと引き分けただけで姿を消す。オランダのサッカーに対する免疫が無いチームは、ことごとく崩壊しているのが面白い。第2戦で東ドイツを2−0で破ると、最終戦でもブラジルを2−0で下して、無失点の3連勝で2次リーグを突破した。ここまで、オランダが失点したのは、ブルガリア戦でのオウンゴールのみというのだから、まさに衝撃的な快進撃である。そして、ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンの南米勢をすべて倒したことでも、ヨーロッパでカリスマ的に信望を集める要因となった。

 すっかり主役の座を奪われてしまった開催国の西ドイツは、オヴェラーツとネッツァーの司令塔問題で揺れていた。共に優れたパスセンスを持っており、攻撃の幅を広げることが出きる。しかし、守備重視の布陣を組んでいたため、両者を共に起用して、攻撃的シフトを考えるにはバランスが悪かった。そのため、ワールドカップが開幕するまで、西ドイツ国内ではオヴェラーツ派とネッツァー派が激しい議論を展開していた。結局、シェーン監督はオヴェラーツの実績を買い、前回同様の布陣で挑むことになる。当然、ネッツァー派からは厳しい批判を浴びることに。そのネッツァーが登場したのは、1次リーグ最終戦の東ドイツとの試合だった。すでに1次リーグ通過を果たしていたこともあり、西ドイツは同じ時間に試合をしていたブラジルの状況を見ながら試合運びをする。後半79分にブラジルがザイールから3点目を奪うと、西ドイツはブラジルとの試合を避けるように後半77分に東ドイツに1点を与え、2次リーグをグループBで戦うことを選択する。不運だったのはネッツァーで、後半69分にピッチへ姿を現してから何も出来ずに、ベンチから東ドイツに負けるよう指示が出された。この敗戦によって、ネッツァーは疫病神のように批判され、以降の試合では、1度としてピッチに姿を見せることは無かった。

 ブラジルとの試合を避けたのは、結果的に賢明の処置だった。グループAにはアルゼンチンやブラジルと共に、オランダまでが勝ち上がってきた。さすがの西ドイツも、この組み合わせでは2次リーグ通過の可能性は極めて低い。西ドイツのグループには、スウェーデン、ユーゴスラビア、そして躍進著しいポーランドが加わった。この3試合を連勝で乗り越えた西ドイツは、バイエルン・ミュンヘンのホームスタジアム、ミュンヘン・オリンピック・スタジアムでの決勝戦に駒を進める。手堅く守る西ドイツは、試合でのスタミナ配分を考慮して、ペースを調整しながら攻守を切り替えていた。攻撃の時間と守備の時間を明確に設けることにより、攻撃に先走って自滅する他のチームとは一線を画している。それが、オランダとの試合を左右する要因となった。怒涛の攻撃を展開するオランダのサッカーは鮮やかではあったが、西ドイツほど強かではなかった。オランダは、試合開始から自陣でパスを交換して、最初の攻撃でクライフが切れ込み、PKをもぎ取ることに成功する。それをニースケンスが確実に決めて、前半開始1分にオランダが先制する。あまりの出来事に、ベッケンバウアーも驚きを隠せなかったが、ここから西ドイツは慌てることなくペースを保って行く。西ドイツは、オランダの猛攻を掻い潜り、前半25分にブライトナーがPKを沈めて同点。そして、前半終了直前には、ゴール前の混戦からミュラーが反転シュートを決めて、逆転に成功する。後半になると、オランダが西ドイツゴールへ幾度も押し寄せたが、フォクツのマークに苦しむクライフは不発。主導権を握りながらもオランダはペースを乱してしまい、ロングボールを放り込む単調なサッカーに終始した。

 この大会では、4−4−2のシステムが主流となり、守備に比重を置くチームが多くなってきた。そのため、伝統的にワールドカップを戦ってきたチーム同士の試合は、1点差、2点差の均衡した展開が増えている。旋風を巻き起こしたオランダのトータルフットボールに関しては、その後のサッカーシーンに多大な影響を及ぼすことになる。しかし、過密するスケジュールと、選手の流動化が激しさを増し、オランダのようにローテーション・システムを完成させたチームは少ない。

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