| 1970年・第9回メキシコ大会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1968年のメキシコ・オリンピックは、日本代表が銅メダルを獲得したことで知られている。特にフォワードの釜本邦茂の活躍は圧巻で、大会得点王に輝いた。その活躍もあって、メキシコ・ワールドカップ・アジア予選には注目が集まったが、釜本を風邪で欠いてしまい、日本代表は勝ち星を挙げることも出来ずに惨敗に終わる。まだ、世界との距離は遠く離れているのが現状だった。アジア代表として、本大会に勝ち進んだのは、当時はまだアジア地域に所属していたイスラエルだった。イスラエルはスウェーデンとイタリアのヨーロッパ勢とは引き分けることができたが、ウルグアイとの初戦で破れていたため、北朝鮮に続く、決勝トーナメント進出は果たせなかった。 アステカ・スタジアムの主役の座をものにしたのは、不死鳥のように蘇ったペレである。1962年チリ大会と1966年イングランド大会で不遇の時を過ごしたペレに、再びサッカーの神様が微笑んだ。チームの顔触れはガラリと様変わりして、才能豊かな選手が揃い始めたことも、ペレの復活を大きく後押しした。“左足の魔術師”と呼ばれたリベリーノを始め、ジャイルジーニョやトスタンなどの若手が成長して、多彩な攻撃でイメージされるブラジルをしっかりと受け継いだ。29歳のペレも円熟味を帯びたプレーを見せ、得点を奪うだけではなく、試合の流れを演出する。 ブラジルの初戦の相手は、あの因縁深きチェコスロバキアに決まった。ペレは試合開始早々から敵意を剥き出しにして、ゴールキーパーのポジションを見るや否や、60mも離れた位置から積極的にロングシュートを狙って行った。戦線布告の号砲を打ち鳴らしたのである。チェコスロバキアは、ペトラーシュのゴールで先制したが、その後は一方的に攻め込まれてしまい、リベリーノ、ペレ、ジャイルジーニョに次々とゴールを奪われて、あえなく大敗を喫した。ブラジルに破れたチェコスロバキアは、ルーマニア、イングランドにも連敗して、1次リーグで姿を消すことに。ペレの報復は、暴力によるものではなく、サッカーによるもので完遂されたのだ。 チェコスロバキアを倒したブラジルの前に、早くも試練が訪れる。前回イングランド大会で王座に着いた、母国イングランドが立ちはだかった。ボビー・チャールトンやゴードン・バンクスら、チームの中核はすべて健在。若きブラジルにとって、非常に厄介な相手である。イングランドとの試合は、この大会でもベストお言われるほど、両チームがハイレベルな攻撃を繰り返した。ペレ率いるブラジルの攻撃は、名手バンクスがスーパーセーブを連発して食い止める。1960年代には、ソビエト連邦のレフ・ヤシンが世界最高のゴールキーパーと称えられていたが、この頃にはゴードン・バンクスの地位が揺るぎ無いものとなっていた。無失点記録を樹立したバンクスは、ブラジル戦でも圧倒的な存在感を誇っていた。勝負に決着を着けたのは、ジャイルジーニョの放った芸術的なスーパーシュートである。“2度曲がってから落ちる”と表現されたシュートには、さすがのバンクスも反応することができなかった。 2連勝で決勝トーナメント進出を決めたブラジルは、最終戦でもルーマニアを相手に、手を緩めることはなかった。ペレを中心に、流れるようにルーマニアのゴールへ押し寄せ、次々とシュートを打ち込んで行く。溜まりかねたルーマニアの選手は、「ペレがいることそのものが反則だ。」と声を弱めた。ペレ2ゴール、ジャイルジーニョ1ゴールで、あっさりとルーマニアから勝利する。その後、決勝トーナメントでもブラジルの快進撃は止まる事を知らなかった。クビシャスを擁するペルーを相手に、王者の貫禄を見せつけての圧勝。続く準決勝戦でも、ゴール前の壁の穴を通すコントロールで、リベリーノがフリーキックを決める信じられない芸当を披露した。1970年のブラジルは、ただ強いだけでなく、サッカーの面白さを伝える魅力に溢れていた。決勝戦まで全戦全勝で勝ち上がると、もはやブラジルの優勝を疑う声など、ヨーロッパでも聞かれなくなっていた。 ブラジルの快進撃が続いた傍らでは、西ドイツ、イタリア、イングランドが死闘を繰り広げる。ベッケンバウアー擁する西ドイツも、ペレのブラジルと同様に1次リーグを3連勝で勝ち上がっていた。“爆撃機”の異名を持つゲルト・ミュラーが。ブルガリアとペルー戦で連続ハットトリックを達成。オヴェラーツを中心とした攻撃陣は、ブラジルにこそ劣ろうとも、他を圧倒する破壊力を見せていた。しかし、決勝トーナメントでは厳しい戦いを強いられる。準々決勝戦では、前回の決勝戦の再現となるイングランドと対戦。マレリー、ピータースにゴールを割られ、2点のビハインドを背負ったところから、ベッケンバウアーが反撃のゴールを奪い取った。その後、後半81分にゼーラーのゴールで同点に追いつくと、両チームの決着はまたしても延長戦へともつれ込む。しかし、今度はゲルトミュラーのゴールで西ドイツに軍配が上がった。 王者イングランドを倒した西ドイツだが、活きつく暇もなくイタリアとの戦いに臨む。容赦なく照りつけるメキシコの太陽光が、イングランドとの延長戦で消耗した西ドイツの選手から、気力と体力を奪って行った。試合開始直後に、イタリアのボニンセーニャがゴールを決めてからというもの、両チームはファウルを応酬して、見るに耐えない試合となる。そのまま西ドイツが破れてしまうかに思われた後半89分、シュネリンガーが起死回生の同点ゴールを決めた。西ドイツは、準々決勝戦に続いて、準決勝戦でも延長突入となる。ここから試合はヒートアップし、双方がゴールを挙げるシーソーゲームの展開となる。先にゴールを挙げたのは、西ドイツのミュラーだった。しかし、その2分後、ブルチニが再び同点とすると、6分後にはルイジ・リーバが逆転のゴールを叩き込み、スコアは3−2でイタリアのリード。これで決着が着いたかと思われたその6分後、またしてもミュラーがゴールを挙げ、3−3の同点とする。しかし、粘りに粘った西ドイツの抵抗もこれで終わり、2分後にリベラがゴールを決めて、イタリアが4−3で西ドイツを下した。“カイザー(皇帝)”ベッケンバウアーは、左肩を脱臼しながらも延長戦を戦い抜いたが、遂に力尽きたのだ。 ペレのブラジルが待つ、決勝の地アステカ・スタジアムへと乗り込んだイタリアだったが、西ドイツとの試合による消耗は激しく、ブラジルと戦う力は残されていなかった。ペレを中心に攻め込むブラジルは、ボニンセーニャにゴールを奪われて同点に追いつかれたが、後半に折り返すと、運動量の落ちたイタリアを圧倒する。ジェルソン、ジャイルジーニョ、カルロス・アルベルトがゴールを決めて、4−1の大差で勝利を治めた。破竹の勢いを見せるブラジルは、史上初めて全勝優勝という快挙を成し遂げ、ワールドカップの通算優勝回数を3回に伸ばしたのである。イタリア戦でペレが決めたゴールは、ブラジル代表がワールドカップで決めた通算100ゴール目にあたり、まさにサッカーの神がペレに与えられたステージと言えるだろう。ブラジルには、ジュール・リメ杯の永久所持の権利が与えられたが、この2年後に国外へ盗み出されてしまい、手元に戻ってきたときにはジュール・リメ杯は跡形も無く溶かされていた。ブラジルは、この優勝で世界最強の名を欲しいがままにしているが、かつて南米最強を誇っていたアルゼンチンとウルグアイの巨頭は、サッカー協会と選手の間でいざこざが絶えず、次第に力を失いつつあった。 |
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