1970年・第9回メキシコ大会


ベストイレブン
ポジション 国籍 名前
GK ゴードン・バンクス
Gordon Banks
DF カルロス・アルベルト
Carlos Alberto
DF ボビー・ムーア
Bobby Moore
DF フランツ・ベッケンバウアー
Franz Beckebauer
DF テリー・クーパー
Terry Cooper
MF ウォルフガング・オヴェラーツ
Wolfgang Overath
MF ボビー・チャールトン
Bobby Charlton
MF ジェルソン
FW ジャイルジーニョ
Jairzinho
FW ゲルト・ミュラー
Gerd Muller
FW ペレ
Pele

MVP ペレ
Pele
得点王 ゲルト・ミュラー
Gerd Muller

得点者ランクトップ5
10ゴール ミュラー
7ゴール ジャイルジーニョ
5ゴール クビジャス
4ゴール ソ連 ブィショベツ
ペレ

優勝国成績
国名 試合数 対戦成績
6試合 6勝0敗0分け
得点19失点7
 1968年のメキシコ・オリンピックは、日本代表が銅メダルを獲得したことで知られている。特にフォワードの釜本邦茂の活躍は圧巻で、大会得点王に輝いた。その活躍もあって、メキシコ・ワールドカップ・アジア予選には注目が集まったが、釜本を風邪で欠いてしまい、日本代表は勝ち星を挙げることも出来ずに惨敗に終わる。まだ、世界との距離は遠く離れているのが現状だった。アジア代表として、本大会に勝ち進んだのは、当時はまだアジア地域に所属していたイスラエルだった。イスラエルはスウェーデンとイタリアのヨーロッパ勢とは引き分けることができたが、ウルグアイとの初戦で破れていたため、北朝鮮に続く、決勝トーナメント進出は果たせなかった。

 アステカ・スタジアムの主役の座をものにしたのは、不死鳥のように蘇ったペレである。1962年チリ大会と1966年イングランド大会で不遇の時を過ごしたペレに、再びサッカーの神様が微笑んだ。チームの顔触れはガラリと様変わりして、才能豊かな選手が揃い始めたことも、ペレの復活を大きく後押しした。“左足の魔術師”と呼ばれたリベリーノを始め、ジャイルジーニョやトスタンなどの若手が成長して、多彩な攻撃でイメージされるブラジルをしっかりと受け継いだ。29歳のペレも円熟味を帯びたプレーを見せ、得点を奪うだけではなく、試合の流れを演出する。

 ブラジルの初戦の相手は、あの因縁深きチェコスロバキアに決まった。ペレは試合開始早々から敵意を剥き出しにして、ゴールキーパーのポジションを見るや否や、60mも離れた位置から積極的にロングシュートを狙って行った。戦線布告の号砲を打ち鳴らしたのである。チェコスロバキアは、ペトラーシュのゴールで先制したが、その後は一方的に攻め込まれてしまい、リベリーノ、ペレ、ジャイルジーニョに次々とゴールを奪われて、あえなく大敗を喫した。ブラジルに破れたチェコスロバキアは、ルーマニア、イングランドにも連敗して、1次リーグで姿を消すことに。ペレの報復は、暴力によるものではなく、サッカーによるもので完遂されたのだ。

 チェコスロバキアを倒したブラジルの前に、早くも試練が訪れる。前回イングランド大会で王座に着いた、母国イングランドが立ちはだかった。ボビー・チャールトンやゴードン・バンクスら、チームの中核はすべて健在。若きブラジルにとって、非常に厄介な相手である。イングランドとの試合は、この大会でもベストお言われるほど、両チームがハイレベルな攻撃を繰り返した。ペレ率いるブラジルの攻撃は、名手バンクスがスーパーセーブを連発して食い止める。1960年代には、ソビエト連邦のレフ・ヤシンが世界最高のゴールキーパーと称えられていたが、この頃にはゴードン・バンクスの地位が揺るぎ無いものとなっていた。無失点記録を樹立したバンクスは、ブラジル戦でも圧倒的な存在感を誇っていた。勝負に決着を着けたのは、ジャイルジーニョの放った芸術的なスーパーシュートである。“2度曲がってから落ちる”と表現されたシュートには、さすがのバンクスも反応することができなかった。

 2連勝で決勝トーナメント進出を決めたブラジルは、最終戦でもルーマニアを相手に、手を緩めることはなかった。ペレを中心に、流れるようにルーマニアのゴールへ押し寄せ、次々とシュートを打ち込んで行く。溜まりかねたルーマニアの選手は、「ペレがいることそのものが反則だ。」と声を弱めた。ペレ2ゴール、ジャイルジーニョ1ゴールで、あっさりとルーマニアから勝利する。その後、決勝トーナメントでもブラジルの快進撃は止まる事を知らなかった。クビシャスを擁するペルーを相手に、王者の貫禄を見せつけての圧勝。続く準決勝戦でも、ゴール前の壁の穴を通すコントロールで、リベリーノがフリーキックを決める信じられない芸当を披露した。1970年のブラジルは、ただ強いだけでなく、サッカーの面白さを伝える魅力に溢れていた。決勝戦まで全戦全勝で勝ち上がると、もはやブラジルの優勝を疑う声など、ヨーロッパでも聞かれなくなっていた。

 ブラジルの快進撃が続いた傍らでは、西ドイツ、イタリア、イングランドが死闘を繰り広げる。ベッケンバウアー擁する西ドイツも、ペレのブラジルと同様に1次リーグを3連勝で勝ち上がっていた。“爆撃機”の異名を持つゲルト・ミュラーが。ブルガリアとペルー戦で連続ハットトリックを達成。オヴェラーツを中心とした攻撃陣は、ブラジルにこそ劣ろうとも、他を圧倒する破壊力を見せていた。しかし、決勝トーナメントでは厳しい戦いを強いられる。準々決勝戦では、前回の決勝戦の再現となるイングランドと対戦。マレリー、ピータースにゴールを割られ、2点のビハインドを背負ったところから、ベッケンバウアーが反撃のゴールを奪い取った。その後、後半81分にゼーラーのゴールで同点に追いつくと、両チームの決着はまたしても延長戦へともつれ込む。しかし、今度はゲルトミュラーのゴールで西ドイツに軍配が上がった。

 王者イングランドを倒した西ドイツだが、活きつく暇もなくイタリアとの戦いに臨む。容赦なく照りつけるメキシコの太陽光が、イングランドとの延長戦で消耗した西ドイツの選手から、気力と体力を奪って行った。試合開始直後に、イタリアのボニンセーニャがゴールを決めてからというもの、両チームはファウルを応酬して、見るに耐えない試合となる。そのまま西ドイツが破れてしまうかに思われた後半89分、シュネリンガーが起死回生の同点ゴールを決めた。西ドイツは、準々決勝戦に続いて、準決勝戦でも延長突入となる。ここから試合はヒートアップし、双方がゴールを挙げるシーソーゲームの展開となる。先にゴールを挙げたのは、西ドイツのミュラーだった。しかし、その2分後、ブルチニが再び同点とすると、6分後にはルイジ・リーバが逆転のゴールを叩き込み、スコアは3−2でイタリアのリード。これで決着が着いたかと思われたその6分後、またしてもミュラーがゴールを挙げ、3−3の同点とする。しかし、粘りに粘った西ドイツの抵抗もこれで終わり、2分後にリベラがゴールを決めて、イタリアが4−3で西ドイツを下した。“カイザー(皇帝)”ベッケンバウアーは、左肩を脱臼しながらも延長戦を戦い抜いたが、遂に力尽きたのだ。

 ペレのブラジルが待つ、決勝の地アステカ・スタジアムへと乗り込んだイタリアだったが、西ドイツとの試合による消耗は激しく、ブラジルと戦う力は残されていなかった。ペレを中心に攻め込むブラジルは、ボニンセーニャにゴールを奪われて同点に追いつかれたが、後半に折り返すと、運動量の落ちたイタリアを圧倒する。ジェルソン、ジャイルジーニョ、カルロス・アルベルトがゴールを決めて、4−1の大差で勝利を治めた。破竹の勢いを見せるブラジルは、史上初めて全勝優勝という快挙を成し遂げ、ワールドカップの通算優勝回数を3回に伸ばしたのである。イタリア戦でペレが決めたゴールは、ブラジル代表がワールドカップで決めた通算100ゴール目にあたり、まさにサッカーの神がペレに与えられたステージと言えるだろう。ブラジルには、ジュール・リメ杯の永久所持の権利が与えられたが、この2年後に国外へ盗み出されてしまい、手元に戻ってきたときにはジュール・リメ杯は跡形も無く溶かされていた。ブラジルは、この優勝で世界最強の名を欲しいがままにしているが、かつて南米最強を誇っていたアルゼンチンとウルグアイの巨頭は、サッカー協会と選手の間でいざこざが絶えず、次第に力を失いつつあった。

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