1962年・第7回チリ大会


ベストイレブン
ポジション 国籍 名前
GK スフロイフ
DF ジャウマ・サントス
Djalma Santos
DF ブルスカル
DF カール・ハインツ・シュネリンガー
Karl Heinz Schnellinger
DF ニウトン・サントス
Nilton Santos
MF ジト
MF ヨーゼフ・マソプスト
Josef Masopust
FW ガリンシャ
Garrincha
FW ドラゴスラフ・シェクラッツ
FW アマリウド
Amariludo
FW レオネル・サンチェス
Leonel Sanchez

MVP ガリンシャ
Garrincha
得点王 ドラージェン・イェルコビッチ
Drazen Jerkovic
ガリンシャ
Garrincha
ヴァヴァ
Vava
フローリアン・アルベルト
Florian Albert
ソ連 ワレンチン・イワノフ
Valentin Ivanov
レオネル・サンチェス
Leonel Sanchez

得点者ランクトップ5
4ゴール イェルコビッチ
ガリンシャ
ヴァヴァ
アルベルト
ソ連 イワノフ
サンチェス

優勝国成績
国名 試合数 対戦成績
6試合 5勝0敗1分け
得点14失点5
 1960年、ワールドカップ開催に向けて準備を進めるチリに、未曾有の大地震が襲い掛かった。この地震で発生した津波により、イースター島のモアイ像が倒れるという損害まで発生している。2000人もの死傷者を出し、13万もの家屋が倒壊したことによって、人々の口からはワールドカップの開催を棄権しようという声が出始めた。時の大統領ホルヘ・アレサンドリも、多くの国民が苦しんでいる中でのお祭り騒ぎに懸念を示して、ワールドカップの返上に傾きかけた。しかし、大会招致の中心人物であるエルネスト・アルベアル氏により説得され、「チリには世界に誇れるものが何も無い。」とのコメントを発表した。そして、餓えに苦しむ人々を横目に、サンティアゴにエスタディオ・ナショナルの建設は続けられた。人々の救済を優先せずに、国家プロジェクトを進めたことで、ワールドカップ開催中は険悪なムードが立ち込めていた。

 国民の期待を背負ったチリ代表は、1次リーグでスイスを破り、順調な滑り出しを見せた。スイスにとってやり辛かったのは、大観衆の罵声と審判のジャッジに不当と思われるチリ贔屓が現れていたことだろう。続くイタリア戦では、さらに激情した大観衆が選手を煽り、前代未聞の大乱闘が起きている。イタリアの新聞記事が、チリに対して厳しい論評を展開したため、チリ国民のイタリアに対する感情は怒りに満ちていた。試合が始まると、審判は一方的なジャッジでチリ選手のファウルを黙認したため、溜まりかねたイタリアの選手がチリの選手に飛び蹴りを食らわせた。その後も、殴り合いや罵り合いがピッチのあちこちで発生して、3分に1度の割合で笛がなる、荒れに荒れた内容となった。イタリアは2人の選手が退場しながらも、持ち前の粘りで健闘を見せていたが、結局2−0でチリの前に敗れてしまう。ジョバンニ・フェラーリとパオロ・マッツァによる二頭体制の指揮官は、事の発端を予期していたのか、この試合ではエンリケ・シボリとジャンニ・リベラのゲームメーカーをメンバーから外していた。

 悪質なファウルが繰り返されたのは、何もチリとイタリアの試合だけではない。スイス大会でMVPとなったペレにも、大会序盤で悲運が訪れる。初戦でメキシコと対戦したブラジルは、ザガロとペレのゴールで順当に勝利した。しかし、第2戦のチェコスロバキア戦では、ペレが執拗に激しいチャージを見舞われ、足を骨折して運び出される。かつて、ネイェドリーとプラーニチカの2人をブラジル選手に骨折させられたことに対する、報復の刃が若きペレに向けられたのだ。チェコスロバキアの前では、ペレを失ったブラジルの抗議はまかり通らない。試合は引き分けに終わったが、ブラジルは敗北に近いダメージを受けて、ピッチを去る。しかし、そんなブラジルを救ったのは、ペレと共に偉大な選手として称えられるガリンシャだった。

 極度のO脚を持つガリンシャは、重心を落した不恰好なドリブルと、大きく弧を描くバナナシュートで、拍手喝采を浴びることになる。イングランドとの試合では、コーナーキックを直接ゴールへ叩き込む、信じられない離れ業を披露した。荒れた大会の中にあって、イングランドとの試合は比較的好ゲームとなり、この大会のベストマッチにも挙げられている。ガリンシャの2ゴールでイングランドを破ったブラジルは、準決勝戦で地元チリと対戦した。ここでも、ガリンシャが強烈なフリーキックを放ち、チリから先制ゴールを奪い取る。このキックを見た瞬間、それまでラフプレーばかり繰り替えしていたチリの選手たちから、血の気が失せたことだろう。ファウルで強豪チームを葬ってきただけに、そのファウルを押さえ込まれてしまっては、チリにブラジルと渡り合う力は残っていなかった。ガリンシャは2ゴール1アシストと大活躍したが、試合終了間際にチリの選手にファウルを行ない、つまらないイエローカードを貰ってしまう。これが、大会通算2枚目のイエローカードとなり、ガリンシャの決勝戦出場が不可能となった。

 まさかの事態に慌てたブラジルは、ガリンシャのファウルはチリの選手が兆発したことによるものだと抗議を申し立てる。FIFA委員を務めるアベランジェ氏と、当時のグラール大統領の働きによって、本来ならば、絶対に覆ることの無い審判のジャッジが覆されたのは、決勝戦の前日のことだった。ブラジル国内でも議論の続いた黒い疑惑は、翌年にブラジル政府がチリの復興支援に乗り出したことによって、ますます色濃く深まって行った。決勝戦の相手は、1次リーグでペレを潰したチェコスロバキアだった。チェコスロバキアは、世界的なドリブラーを数多く生み出していることで知られ、チリ大会にも、小刻みにドリブルするヨーゼフ・マソプストを送り込んでいる。決勝戦は、そのマソプストとガリンシャによる、ドリブラー対決に注目が集まった。先制ゴールを決めたのはマソプスト。しかし、それも束の間、ガリンシャのパスを受けたアマリウドが同点ゴールを決める。ショートパスを多用する両チームの戦いは均衡したが、終盤に2得点を奪ったブラジルが、チェコスロバキアの反撃を振り切った。得点こそなかったが、渦中のガリンシャは3アシストとすべての得点に絡んでいた。ブラジルは、イタリアに続いて、ワールドカップ2連覇の偉業を達成したのである。

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