1958年・第6回スウェーデン大会


ベストイレブン
ポジション 国籍 名前
GK ベアラ
DF ケールベル
DF ベリーニ
Bellini
DF ニウトン・サントス
Nilton Santos
MF ジト
MF ジジ
Didi
MF レイモン・コバ
FW ガリンシャ
Garrincha
FW ジュスト・フォンテーヌ
Just Fontaine
FW ペレ
Pele
FW レナト・スコーグルンド
Lennart Skoglund

MVP ペレ
Pele
得点王 ジュスト・フォンテーヌ
Just Fontaine

得点者ランクトップ5
13ゴール フォンテーヌ
6ゴール ペレ
ラーン
5ゴール マクパーランド
ヴァヴァ

優勝国成績
国名 試合数 対戦成績
6試合 5勝0敗1分け
得点16失点4
 1956年、ソビエト連邦によるハンガリー侵攻が始まり、伝説的な偉業を成し遂げたマジック・マジャールは、その姿をサッカーの歴史から消し去った。プスカシュやチボールは国外へと逃亡して、クラブチームに活躍の場を求める。ヒーローを失ったかに思われたワールドカップだが、彗星のごとく17歳のペレが登場した。

 1955年にブラジルの名門クラブのサントスと、16歳の若さでプロ契約を結んだペレは、契約からわずか半年後にはトップチームでデビューを果たし、翌年には代表チームに選ばれるという、異例の早さで出世した。アフリカ系移民の血を引くだけあって、ペレは抜群の身体能力を誇っており、想像力に溢れたプレーで周囲を驚かせる。1958年のスウェーデン大会は、そんなペレのお披露目式とも言える大会として、世界中に衝撃を与えることになる。

 本大会で優勝候補に上がっていたのは、地元スウェーデンとフランスだった。スウェーデンはヨーロッパ予選で、ウルグアイの至宝ギジャを擁する強敵イタリアと同じグループとなったが、イタリアが北アイルランドと乱闘騒ぎになった末、最終戦を落したため、晴れて地元ワールドカップに出場することができた。イタリアは引き分けでも首位をキープすることが出来たのだが、必要以上に北アイルランドを刺激したため、敵意を剥き出しにしたアウェイのサポーターに怯えなければならなかった。この敗北によって、ワールドカップの歴史上で、初めてイタリアは予選落ちの悲劇を味わったのである。

 スウェーデンとフランスは、共に中盤の展開能力に秀でていた。フランスは、プスカシュやディ・ステファノと共にレアルマドリードをチャンピオンズカップ3連覇に導く、レイモン・コバゼフスキー“コバ”が司令塔を努め、ジュスト・フォンテーヌへ次々と好パスを供給する。フォンテーヌは、このスウェーデン大会だけで13点ものゴールを量産して、ひとつの大会で個人が挙げた得点の歴代最高記録を樹立した。一方のスウェーデンは、ACミラン黄金時代に5連覇の立役者となったニリス・リードホルムがタクトを振るう。リードホルムを中心に、素早く前線からプレスを仕掛けるスタイルで、攻撃的なサッカーを展開していた。スウェーデンは、スイス大会から一新されたハンガリーを3−1で下して、1次リーグの3試合を無傷で勝ち上がった。両国の優勝争いになるかと思われたが、ここに割って入ったのが脅威の少年ペレである。

 ジジ、ババ、ガリンシャといったテクニシャンを誇るブラジルで、17歳のペレはまだレギュラーには定着していなかった。初戦のオーストリア戦、イングランド戦は共に欠場している。ゼップ・ヘルベルガー監督は、ペレの起用に慎重を見せていたが、1次リーグ突破を掛けた第3戦のソビエト連邦との試合で投入する。ブラジルは、枯葉シュートと名付けられたジジのドライブシュートで2−0の勝利を治めた。ペレのゴールは、ウェールズ戦まで待たなければならなかったが、この試合でソビエト連邦のディフェンダーを混乱させたペレの働きに、目の肥えたヨーロッパのジャーナリストは注目を怠らなかった。ウェールズ戦で、ペレが記念すべき初ゴールを決めると、チームメイトと共に多くのカメラマンが駆け付けた。ゴール内で点を仰ぎ、ペレは雄叫びを上げながら泣いていた。

 ペレのゴールでウェールズを下したブラジルは、準決勝戦で前評判の高かったフランスと対戦する。ここまで、大量8ゴールを決めていたフォンテーヌが、一体どこまで得点記録を伸ばすのか?試合が始まるまでは、それが話題の中心だった。しかし、いざ試合が始まってみると、話題を独占したのはペレの方だった。ブラジルは試合開始早々に、ババのゴールで先制したが、フランスもすぐにフォンテーヌのゴールで追いついた。そこから均衡した展開が続いたが、ジジがドリブルで持ち込み再びブラジルのリードで後半に降り返す。ここから、ペレが次々とゴールを決めて、ハットトリックでフランスを引き離した。圧倒的な決定力を誇っていたコバとフォンテーヌのコンビは、ペレに主役の座を奪われてしまった。

 舞台のクライマックスは、ストックホルムにあるラスンダ・スタジアム。地元スウェーデンが順調に勝ちあがっていたが、もはやこの時点でスウェーデンの勝利を予想する者は皆無に等しかった。スウェーデンのサポーターでさえ、若き英雄ペレの活躍を望んでいたのである。スウェーデンのシベス監督は、立ちあがりに速攻を仕掛けて、攻撃的なブラジルの出鼻を挫くことを考えた。それが成功して、開始4分にリードホルムのゴールで先制する。しかし、乗りに乗っているブラジルは、ババが巧みなスルーフェイントで抜け出して、すぐに同点ゴールを決めてしまった。スウェーデンも反撃を試みたが、キープ力の高いブラジルの選手に梃子摺り、反対に再びババに個人技で抜け出されて逆転ゴールを許してしまう。そしてハイライトを飾ったのは、ペレが巧みなリフティングからディフェンダーの頭上を抜いて、ボレーシュートを決めた“シャポー・リフティング・ボレー”だった。さらに、ザガロとペレがゴールを決めたブラジルは、5−2という大差をつけて見事にワールドカップの初優勝を勝ち取った。“マラカナンの悲劇”から8年、伝説のゴールと共にペレの名はサッカー史に永遠に刻まれることになったのである。

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