1950年・第4回ブラジル大会

ベストイレブン
ポジション 国籍 名前
GK バルボーザ
Barbosa
DF ゴンサレス
GONZALES
DF テヘラ
MF バウアー
MF オブドゥリオ・バレラ
Obdulio Varela
MF ビクトル・アンドラーデ
Victor Rodriguez Andrade
FW アルシデ・ギジャ
Alcide Ghiggia
FW ジジーニョ
Zizinho
FW アデミール
Ademir Marques di Menezes
FW ファン・スキアフィーノ
Juan Alberto Schiaffino
FW トーマス・フィンニー
Thomas Finney

MVP

得点王 アデミール
Ademir Marques De Menezes

得点者ランクトップ5
9ゴール アデミール
5ゴール バソラ
スキアフィーノ
4ゴール サラ
シッコ
ギジャ

優勝国成績
国名 試合数 対戦成績
4試合 3勝0敗1分け
得点15失点5
 第2次世界大戦が集結して、世界は復興の時代へと移行した。建国100周年に沸くブラジルは、リオ・デ・ジャネイロに世界最大のスタジアム“マラカナン”を建設する。収容人員18万人。空前の規模を誇るスタジアムは、終戦後はじめて行われるワールドカップの舞台として用いられた。

 12年の歳月を挟んで、ブラジルで開催されたワールドカップは、世界の復興のシンボルとして盛大な盛り上がりを見せる。この大会からは、サッカーの母国として知られるイングランドが参加した。世界最強を自負するイングランドだけに、話題と注目を集めたが、一次リーグで早くも姿を消してしまう。アウトサイダーの1国であるアメリカを相手に、まさかの完封負けを喫すると、続くスペインも完封負けに終わり、世界の進歩から取り残されている現状が明るみとなった。アメリカ戦の敗北は、外電が衝撃的な事件として各国に配信。イングランドにとって、手痛い世界の洗礼となった。一方、ドイツとフランスは、政治情勢から本大会をボイコットしている。

 1934年イタリア大会、1938年フランス大会と、2大会連覇を成し遂げたイタリアは、スウェーデン、パラグアイと対戦。1勝1敗でスウェーデンに破れ、こちらも一次リーグで姿を消している。イタリアにとって不運だったのは、ワールドカップの前年に、代表の主力を含むトリノの選手を乗せた飛行機が、スペルガの丘に墜落したことである。前任ビットリオ・ポッツォ監督の作り上げたドリームチームは、これで結成不可能となった。さらに、ヨーロッパ屈指の強豪スウェーデンと初戦で戦うことになり、イタリアは再起を図るチャンスにも恵まれなかった。大柄なフォワードを5人並べるスウェーデンの攻撃はパワフルで、守りを主体とするイタリアのサッカーとは相性が悪かった。若手主体のイタリアは、得意のカウンターから2点を奪い返したが、スウェーデンの前に圧倒されてしまう。この敗北が、王者イタリアにとって長く続く“暗黒の時代”の幕開けとなった。

 開催国として、是が非でも優勝を果たしたいブラジルは、アデミールやジジーニョといったテクニシャンを揃え、一次リーグでユーゴスラビアを振り切った。決勝リーグでは、これまでのトーナメント形式ではなく、ウルグアイ、スウェーデン、スペインとのリーグ戦を行なうことになる。ブラジルは、ヨーロッパの雄スウェーデンを7−1というワンサイド・スコアで下して、圧倒的な攻撃力を見せつける。この試合でアデミールは、1試合4得点という偉業を成し遂げた。第2戦のスペイン戦でも勢いは衰えを知らず、6−1の大差で勝利する。その結果、ブラジルは最終戦でウルグアイと引分け以上の結果を残せば、ワールドカップ初優勝を手にすることができる。そのウルグアイは、伝説の名手ホセ・アンドラーデの甥っ子、ビクトル・ロドリゲス・アンドラーデが精神的支柱となって、土壇場で追いつくタフな試合運びを見せていた。中盤の底で落着いてゲームの流れをコントロールする、アンドラーデやバレラを抱えていたことが強味だった。勢いだけを見るとブラジルの有利に思われたが、試合巧者はウルグアイの方がだった。

 試合開始から攻め込むブラジルに対して、執拗なマークで守りを固めるウルグアイは、前半を0−0で降り返すことに成功する。しかし、後半のキックオフ直後、フリアサにゴールを奪われて、遂にホームのブラジルにリードを許してしまう。このままブラジルが勢いを掴むかに見られたが、アンドラーデを中心としたウルグアイの守備は手堅く、ブラジルは追加点を奪うことができない。そして、最悪にもスキアフィーノに同点ゴールを決められた。これで焦りが見え出したブラジルは、終了10分前にギジャに追加点を奪われて、悪夢の終焉を迎える。試合終了のホイッスルと同時にスタンドの観客は暴動を起し、4人がショックから心臓麻痺で死亡。セレモニーを予定していたFIFAは急遽これを中止して、人込みの中でキャプテンのアンドラーデにトロフィーを手渡すだけで精一杯だった。事態は悪化の一途を辿り、60人以上の者が病院へと運び込まれている。その惨劇をスタンドでまざまざと目撃した一人の少年は、涙を浮かべる父親に向かって、必ずブラジルを優勝させて見せると宣言した。後に、サッカーの王様と称えられる8歳のペレがそこにあった。

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