1938年・第3回フランス大会

ベストイレブン
ポジション 国籍 名前
GK アルド・オリヴィエリ
Aldo Olivieri
DF ドミンゲス・ダ・ギア
Dominguez Da Guia
DF ラーヴァ
Lava
MF サライ
Sallai
MF アンドレオーロ
MF アルフォンジーニョ
FW シャシュ
Sas
FW レオニダス・ダ・シルバ
Leonidas Da Silva
FW シルビオ・ビオラ
Silvio Viola
FW フェラーリ
Ferrari
FW ルイジ・コラウッシ
Luigi Kolaussi

MVP

得点王 レオニダス・ダ・シルバ
Leonidas Da Silva

得点者ランクトップ5
7ゴール レオニダス
6ゴール ジェンゲレール
5ゴール ビオラ
シャロシ
4ゴール コラウッシ
ウィリモウスキー

優勝国成績
国名 試合数 対戦成績
4試合 4勝0敗0分け
得点11失点5
 ムッソリーニ率いるファシズム党の広告塔と化したイタリア代表ア・ズーリは、ビットリオ・ポッツォ監督のもと、老築したチームの世代交代に取り組んでいた。先回優勝メンバーは軒並み30代を超えており、特にアルゼンチン勢の衰えが顕著に現れた。ポッツォはまず、モンティの変わりとして、2人のウルグアイ人アンドレオーロとグアイータを帰化させる。さらに、巨漢を誇るシルビオ・ビオラを代表のエースとして前線に置き、カウンタースタイルを模索し始めた。184cmの長身を誇るビオラは、パワーとスピードに優れており、ひとりでゴールを奪う能力を備えていた。徹底してゴール前を固め、鋭いカウンターでビオラを走らせる。それが、ポッツォの描いた必勝法だった。大会直前には、ベルリン・オリンピックで金メダルに輝いたパシナーティーを加えて、万全の態勢でフランスへと乗り込んだ。

 ワールドカップ実現から8年、黄金のカップはついにジュール・リメの故郷フランスへと凱旋した。このフランス大会から、前回優勝国の予選免除が決まった。前回イタリア大会に続いて、ヨーロッパでの連続開催ということに腹を立てた南米勢は、アルゼンチンとウルグアイの両巨頭が揃ってボイコットしている。そのため、南米から参加したのはブラジルとチリの2カ国だけとなった。これまでの2大会は、開催国がそのまま優勝の栄冠を勝ち取っていたが、フランスは準々決勝でイタリアに破れている。前半にビオラのゴールでリードを奪われたフランスは、6万人の大観衆の後押しを受けて反撃。一時は同点に追いつくことに成功するが、再びビオラにゴールを奪われて力尽きてしまう。

 “黒いダイヤモンド”レオニダスを擁したブラジルは、初戦でポーランドと対戦。レオニダス、ビリモフスキーの両エースがハットトリックを達成する乱打戦は、6−5でブラジルが勝利する。この頃のブラジルは、まだ華麗なテクニックを見せるには程遠く、悪質なファウルで対戦チームの選手を負傷させていた。特に酷かったのは、チェコスロバキアとの2回戦で、乱闘騒ぎが起きてしまい“ボルドーの戦い”と酷評を受けることとなった。ブラジルはレオニダスのゴールで先制するが、チェコスロバキアもネイェドリーのゴールで同点。試合は延長戦へともつれ込み、ここで両チームの選手がエキサイトして試合が中断する。ブラジル、チェコスロバキア共に負傷者を出したが、ダメージが大きかったのはチェコスロバキアの方だった。優勝候補の一角を占めていたチェコスロバキアは、守護神プラーニチカと前大会得点王のネイェドリーの2人を骨折の重傷で失ってしまう。9人となったチェコスロバキアは、守りに守って延長戦を逃げ切った。翌日、再試合が行われると、4人のレギュラー選手を欠いたチェコスロバキアに、ブラジルを倒す力は残されていなかった。

 パルク・デ・プランスで行われた決勝戦に勝ち進んだのは、破竹の連勝を続けるマジックマジャール・ハンガリーと、ファシズムの広告塔ア・ズーリ。ここまで、3試合で13得点と破壊的な攻撃力を見せつけていたハンガリーに対して、イタリアは果敢にも攻撃的に仕掛けて行く。奇襲攻撃に成功したイタリアは、開始5分にコラウッシのゴールで先制。しかし、リードも束の間、2分後には同点に追いつかれてしまう。イタリアは、前線に残るビオラとコラウッシへロングボールを供給して、速攻から2得点を追加した。先手先手で攻めこんで来るイタリアにペースを掴まれ、ハンガリーは試合の流れを引き寄せることなく前半を終える。後半にシャロンが1点を返したが、反撃はここまで。終了間際にビオラが止めのゴールを決めて、イタリアが2連覇を達成した。“勝たなければ死を覚悟しろ!”と選手を脅していたムッソリーニは、満面の笑みを浮かべて選手の労をねぎらった。

 開幕直前、ドイツがオーストリアを併合したため、オーストリアは不戦敗となっている。そのオーストリアの選手のうち、5人がドイツ代表としてプレーしていたが、スイスと再試合を行ない2−4で大敗を喫した。翌年、第二次世界大戦が勃発。ワールドカップは、時代のうねりと共に中断を余儀なくされる。伝説のブンダ−チームを率いたマティアス・シンデラーは、享年35歳という若さで自殺。世界に平和が戻り、再びワールドカップが開催されるには、12年もの歳月を待たなくてはならなかった。

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