| 1934年・第2回イタリア大会総括 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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イタリアの独裁者ムッソーリーニが、ファシスト政権の力を誇示せんとばかりに、ワールドカップとオリンピックの連続開催を要請した。ときに、日本政府も東京オリンピック開催誘致の準備を進めており、ムッソリーニを説得するべく使者を遣して説得にあたる。ムッソリーニは、オリンピックの開催こそ断念するものの、ワールドカップは半ば強行的に開催へと漕ぎ付けた。 1930年のウルグアイ大会終了後、代表の主力選手として活躍したギジェルモ・スタービレやルイス・モンティをはじめ、多くのアルゼンチン選手がイタリアのクラブへと移籍している。サンロレンソからトリノにあるユベントスへと移籍した司令塔モンティは、ムッソリーニの誘いに応じてイタリアに帰化した後、代表のエースとしてワールドカップ・ヨーロッパ予選を戦った。南米でもウルグアイと並んでトップレベルに位置していたアルゼンチンは、各クラブがプロ化を促し、更なるレベルアップを図っていた。それに目を付けたイタリアのクラブは、高額の報酬と引き換えに主力選手を獲得。そのまま帰化させて代表チームにまで組みこんだのである。フランスやオランダによるアフリカ人帰化策が問題視されつつあるが、その先駆けとなったのがイタリアによるアルゼンチン人帰化策であった。 この頃のワールドカップは、まだ開催国や前回優勝国の予選免除が認められておらず、イタリアは欧州予選を勝ち抜いての出場となった。一方、前回優勝のウルグアイだが、イタリアがウルグアイ大会をボイコットしていたため、それに対する報復としてイタリア大会のボイコットを決定している。大会の形式も大きく変更され、前回のリーグ形式から一発ノックアウト式のトーナメント形式が採用されることになった。参加国は16カ国。イタリア、オーストリア、ドイツ、スウェーデン、フランスなど、ヨーロッパ屈指の強豪国が出揃った。アフリカから初参加となるエジプトは、初戦でハンガリーから2ゴールを奪う大健闘を見せたが、力の差を見せつけられて4−2で敗れている。エジプトを一蹴したハンガリーは、伝説のブンダーチームこと、マティアス・シンデラー擁するオーストリアに敗れている。 イタリアにとって最大の敵になる可能性を秘めたアルゼンチンは、決勝戦まで直接対決を避けるよう組み分けられた。ヨーロッパの7カ国を相手に勝ち抜かなければならなくなったアルゼンチンだったが、体格を活かしたスウェーデンのパワーサッカーの前に1回戦で涙を飲んだ。イタリアはホームの大歓声を背に、初戦でアメリカを7−1で破る好スタートに成功。2回戦でのスペインとの試合は1−1の引分けに終わり、再試合で1−0と破っている。準決勝戦ではオーストリアを相手に前半早々にリードを奪うと、体を張ったファウルプレーでオーストリアの攻撃を食い止めた。決勝戦の相手は、守護神ブラーニチカとエース・ネイェドリーを誇る、ヨーロッパ最強の呼び声高いチェコスロバキアが相手。カウンタースタイルを取っていたチェコスロバキアは、スタミナを温存しながら終盤に猛攻を見せるお家芸を披露して、後半76分にイタリアからリードを奪う。しかし、アルゼンチン人FWのライムンド・オルシが同点ゴールを決め延長戦へともつれ込む。延長前半に、スキアビオの挙げたゴールによって、イタリアはウルグアイに続く開催国優勝を飾る。しかし、アルゼンチン人を大量起用したやり方には、批難の声も集まった。 |
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