| 1930年・第1回ウルグアイ大会総括 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1924年パリで行なわれたオリンピック・サッカー競技で、並み居る欧州の強豪を退け、決勝戦に勝ち進んだのはアルゼンチンとウルグアイだった。当時世界最強を誇っていた両国による欧州制圧を目の当たりにしたFIFA会長ジュール・リメは、「欧州と南米、一体どちらが強いんだ・・・」と素朴な疑問に駈られていた。それを明確にするべく、ジュール・リメは各国政府に打診して、ワールドカップの開催案を持ち掛ける。そうして、今日世界で最も愛されるスポーツの祭典、ワールドカップが実現する運びとなった。パリ・オリンピックから6年後、ウルグアイ建国100周年を記念して、国歌プロジェクトの一環でワールドカップが開催されている。国際チームの滞在費用を全額負担するという申し出から、リメはヨーロッパ各国の反対を押し切って、ウルグアイでの開催に漕ぎ付けた。ところが、遥か海の向こうにある、南米大陸への渡航を苦慮したヨーロッパの国々は、このワールドカップへの参加を拒否。結局、ヨーロッパから参加したのは、リメの母国フランスを始め、ユーゴスラビア、ルーマニア、ベルギーのわずか4カ国に止まった。 史上初のワールドカップ、その記念すべき第1試合はリメの功績を称え、フランスとメキシコが対戦する。フランスのルシアン・ローランによって、ワールドカップの初得点が記された。メキシコを4−1で破ったフランスだったが、南米大陸の荒々しいサッカーに梃子摺り、アルゼンチンとチリに立て続けに敗れてしまう。結局、1勝2敗で足早に大会を去った。意外な活躍を見せたのは、アウトサイダーと見られていたアメリカである。パラグアイとベルギーを破り、グループ4を首位で通過している。しかし、勢いはここまでで、優勝候補筆頭のアルゼンチンの前に1−6の大敗を喫した。“インフィルトラドール(侵入者)”の異名を持つギジェルモ・スタービレを擁したアルゼンチンは、前線に4人の強力なフォワードを並べて、次々とアメリカゴールに襲い掛かった。ファウル紛いのラフ・プレーが多く、各国にとって手に負えない相手であった。 打倒アルゼンチンを掲げたのは、やはり前評判から騒がれていた地元ウルグアイ。アルゼンチンと同じように、準決勝戦でユーゴスラビアを6−1で破ったウルグアイもまた、激しいチャージが多く、正当な評価を与えるに気兼ねするチームだった。パリの再現となった決勝戦では、序盤にリードを奪ったウルグアイだったが、スタービレのゴールで逆転されてしまう。前半をアルゼンチン仕様のボールで戦うと、後半からはウルグアイ仕様のボールに切り替えた。すると、後半開始から怒涛の攻撃を開始したウルグアイは、2得点を奪い返して逆転に成功する。終盤は、両チームの激しいファウルの応酬となった攻防戦が繰り広げられた。ハイライトは、ロスタイムでゴールを奪った隻腕のストライカー、エクトール・カストロが締め括った。地元ウルグアイが、開催国としての面目を保つ優勝を飾り、第1回ワールドカップはその幕を閉じる。 |
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1930ウルグアイ大会
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