マラドーナ・アルゼンチン出撃

This is real Pele's story. He is fighting. The enemy is Maradona.
この物語は50%のノンフィクションと50%のフィクションによって構成されています。


マラドーナの半生を綴った映画「マラドーナ」のカンヌ出品に合わせて、カンヌ映画祭会場に姿を現したマラドーナファミリー。左より次女ジャンニーナ・マラドーナ、父ディエゴ・マラドーナ、長女ダルマ・マラドーナ、母クラウディア・ビリャフェネ。ディエゴとクラウディアは1989年結婚、2004年に離婚している。長女ダルマの名は、ディエゴ・マラドーナが愛してやまない祖母の名前をつけている。次女ジャンニーナは、現役アルゼンチン代表セルヒオ・アグエロのフィアンセ。



日本でも話題になったジャンニーナ・マラドーナが初めてメディアの前で父ディエゴ・マラドーナを語ってくれた。その貴重なインタビューの一部を掲載する。




ジャンニーナ・マラドーナのインタビューより

父は偉大なサッカー選手でした。アルゼンチンでは誰よりも愛され、イタリアではナポリを優勝に導きました。ブエノスアイレスの街中をあるけば、誰もが父に声を掛けるんです。でも、家ではあまり母と上手くいっていなかったの。母はいつも言っていました。「まともなのはサッカーをしているときだけ」。私達が成人すると、母はすぐに父と離婚したんです。


父はよくワールドカップのビデオを見せてくれました。まだ父も若くて今よりも随分スマートでした。でも、私は実際に父がサッカーをしている姿を見たことはありません。現役時代の父は多くの人々を不快にしました。今でも父のプレーに汚い野次を飛ばす人たちがいます。私は、そんなところに行きたくはないんです。



まだ私が幼い頃、父が突然「日本でプレーするんだ」と言い出したんです。ウーゴ叔父さんのいる日本のPJMチームから誘いが来て、私たち家族も一緒に日本へ連れて行くと言いました。母は私達姉妹を連れて、日本に住んでいたウーゴ叔父さんの家に遊びに出かけたことがあるんです。母はとても日本を気に入りました。治安が良くて、女性が夜に出歩いても安全でした。アルゼンチンでは考えられないことです。父は日本へ行くことを決断しました。でも、入国許可が下りず、結局日本でプレーする話はなくなりました。



1999年に父は現役を引退しました。サッカーを失った父は精神的に不安な状態になり、ストレスから過食症を患いました。しばらくして父に会いに行ったとき、私も姉も父の姿を見て驚きました。30キロも太っていたのです。すぐに医師に相談するよう父に言いました。でも、父はまったく聞こうとしなかったんです。



父は口煩くする私達から距離を置くようになりました。友人に会いに行くと言って出かけたまま、2年間戻ってくることはありませんでした。父の交友関係は幅広く、南米の国々に父の友人がいました。スポーツ選手や政治家のパーティーに呼ばれる内に、ますます父は肥えていきました。母はこのとき、離婚を決意しました。



2年後、父と面会した私は悲鳴を上げて気絶しました。それはもう父と呼べる姿ではありません。顔がプクプクに膨らんでいて、まるでマシュマロマンのような化け物でした。「あなた誰よ?」錯乱しながら姉は言いました。



このままでは父が死んでしまうと思い、母と一緒に医師の元へ相談にいきました。医師はしばらく黙ったまま写真を眺め、「これは本当にディエゴですか?」と訊ねました。私達でさえ半信半疑でしたから無理もありません。すでに、誰の目にもマラドーナには見えませんでした。



医師は言いました。「オーストラリアに肥満を抑制する施設がある。そこにディエゴを入所させなさい。」私達は父を連れてオーストラリアに渡りました。医師から受け取っていた地図の場所にいくと、そこはカンガルーパークという名前の動物園でした。医師が冗談で言っていたことに気付いた母は笑いました。私達は動物園の園長さんに相談して、父を預かってもたうことにしました。カンガルーの厩舎に入った父は、そこが病院だと信じ込んでいました。厩舎の中にはカンガルーが遊ぶためのサッカーボールが置いていました。それを見つけた父は早速蹴っていました。



1年後、オーストラリアへ父を迎えにいった私達は驚きのあまり悲鳴をあげました。父は見違えるほど痩せていたのです。父は言いました。「あの施設はおかしい。朝も昼も晩もサラダばかり出しやがる。オレが肉を食わせろと言っても、そんなものは無いと言いやがった。」父はカンガルーの餌が口に合わず、ほとんど何も食べていなかったそうです。私も母もそれがおかしくておかしくて。それから父は動物園での生活を話してくれました。「休日になるといつもガキが集まってくるんだ。マラドーナ、カンガルーキックを見せろ!と煽ってきやがった。オレがリフティングをしてやったら、ガキどもはパンやお菓子を投げてきやがる。」父はすっかり動物園の目玉ようです(笑)。



ダイエットを成功させてマラドーナが復帰会見を行った。

"ダイエットの秘訣は何ですか?"
食べないことだ。

"ダイエット中苦しかったことは?"
ガキ共の相手が面倒だった。



翌年、アルゼンチンサッカー協会から父の元に代表チームの監督をやらないかと連絡が来ました。食事を制限して体重を元に戻したことでサッカー協会は父を評価してくれました。以前から代表監督になりたいと発言していた父は大喜びしていました。



マラドーナの代表チーム。テレビも新聞も父のニュースで持ちきりでした。サッカー専門誌にはマラドーナだけで代表チームが組めるぞとイラストが載っていました。母はそれを気に入り、ポスターにして自宅に飾っています(笑)。



父のことは愛しているわ。あんな人、世界中探してもいないはずよ。最近は父にサラダを食べさせるのが楽しみなの。

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